誕生日に開催されていると知ってみにいった
名古屋ハワイアンフェスティバル。
いろんなお店、日本のフラチーム、ハワイアンの公演。
現地にいってミスハワイUSAの公演もあることを知った。
ミスハワイのフラ
誰かのフラを生でみて泣いたのは初めてだった。
最初の1分は動画を撮っていたんだけど、
動画を撮るのがなんだかもったいない気がしてきて、胸に手を当ててみていた。
みているうちに涙があふれてきて、
ときが止まっているかのように静かで穏やかななにか。
みることに夢中でフラの時の写真がない![]()
そこにあったのは、
表現者、観客という境目ではなく、
静かであたたかいながれ。
ことばで説明できない
わたしのなかにもあるっていう感覚。
人の心を動かすのは、
かたちではなく、宿っているなにかなんだって。
愛ってただあるものなんだ
ただ流れているものなんだって。
フラを踊っているとき、涙してみている人をみて
こんな風に思っている自分がいた。
泣くほどのものじゃないような気がするって。
なにも見えていなかった
気づいていなかった
気づこうとしていなかった。
自分の中にあるものから目を背けていた。
傲慢だなって。
頭の中にある恐れや不安の声によって
曇った眼鏡をつけていることによって
もうすでにあるものに、
たくさん与えられているものに、
気づいていなかった
感じ取れていなかった
受けとっていなかった。
プライドやエゴの強さゆえに自分を守ろうとして、
いろんなものを壊したり傷つけてきたわたしもいる。
傷ついてきたわたしもいる。
恥ずかしい、惨めだ、こわい。
そんな思いをするたびに、
表層ではつらいとか苦しいとか思っているわたしがいるけれど、
なにかが溶けてほっとしていくような、そんなことを感じているわたしもいた。
弱さや傷を隠すためにできあがった
固い板のような強さや完璧さは、
外側から力が加わるとぽきっと折れてしまう。
時間がいろんなものを溶かしてくれるように思う。
それにしても、
時間かかりすぎ、かけすぎ な気もするけれど。
あるものが大きくて、出すのが、
出したときに傷つくのがこわかった。
何度も傷ついて、
それでもあり続ける静かななにか
脈々とあり続けていたなにか
それでも開いていこうとするなにか
揺れることもある。波もある。
弱い自分もいる。
ダサい自分もいる。
不器用な自分もいる。
それでも、
内側にある静かななにかを感じて、
表現することも、経験を通して育まれていく器のようなものも、
人として成長していきたいなって思った。
















