SALA

SALA

気づきや受け取ったことを。

金目鯛のあまりのきれいさにブログでアップして数日。


朝散歩中にたい焼きのキーホルダーが足元に落ちてるのを発見して、

また鯛だ〜、なんかめでたいわ〜

って声に出して思わずスキップ。



夜出かけた先でハートをうちぬくレベルのうれしいものに出会った。




金目鯛がクリスタル、オーロラみたい

目もビー玉みたいとか言ってたら


クリスタルグラス


このピアスのキャッチコピーがそうなってて

この煌めききれいだな〜って思ってみていたら、


店員さんが

クリスタルグラスって書いてあるけど、

スワロフスキーです。18金使ってます。

最近金が上がっててなかなか出回らなくなってしまったから、

出会ってお手にできるのラッキーですよ。


そんなふうに声をかけてくれて、

1色選んで買うつもりがどれも好きすぎて3つとも購入。

金目鯛の目ん玉ぷにぷにつんつん触って楽しんでたの思い出して、あぁそういえば3匹だったなぁって。







心踊るものに出会うとこどもの自分が出てきて

そんな姿や店員さんに伝えたことばに


そんなに喜んでもらえてわたしたちもうれしいです。


そんな会話に。



香水も洋服もアクセサリーも

好き と感じるものを纏う、身につけるのって

いい気分や心地よさがお守りみたいになってくれる。


好きって単純だけど最強な感じがする。


誕生日のときに買ったマヤのワンピース。

そのお気に入りのワンピースを着ると、

知らない人からも声かけられて褒めてもらったり

ワンピースとおんなじぐらい好き、うれしいと思えるものに出会ったり、そんなことが多い。


おしゃれは自分のためにするもの

って思ってたのだけど、

それだけじゃなく周囲にも何かしらの影響があるんだなって

そんなことも感じるようになって見方が変わった。



今日はこのドラゴンボールみたいなピアスたちと一緒に寝ます。

これはうれしい〜と思うものを買ったとき

枕元において一緒に寝たくなっちゃうんですよね。







フォーカスする

 

川の幅が狭ければ狭いほど

その水圧は増し

勢いよく海へその水は押し出されていく

フォーカスしたものが勢いを増す

 

そのためにいらないものがそぎ落とされている

 

水をクリアにすること

川の幅を削っていくこと

 

焦らなくていい

いつでも流れの中にいる

 

 

 

金目鯛をいただき感じたこと

 

そのまんまの姿をみるのが初めてで、ひとり感動。

 

 

実物はこの10倍ぐらいきれいなの宝石白

 

 

鱗がクリスタルを粉々にしたオーロラみたいにキラキラしてて

目もビー玉みたいにクリアで。

 

魚というより宇宙の生物みたいに感じて

ハートに感じるものがあって思わずハートでお話しちゃいましたハート

美しい、きれいすぎ、そしてうれしい。

 

 

ほんとうはもう2,3枚の画像とともに

続きを書いていたんだけど

何度やっても画像がアップできなかったから

まぁいいかぁと思ってその部分は削ってアップしました。

 

金目鯛の写真だけはアップできたのは不思議。

 

 

ウコンにハマったのをきっかけにいろんなカレー屋さん巡り中。

 

年明けぐらいまでなんとなく毎日とっていた春ウコンだけど、

今はほとんど飲んでいない。

 

春ウコンを初めてとってみて感じた個人的な体感

 

血や氣の巡りのようなものを整えてくれる

胃 の調子が整う

 

そんな感じがしました。

一般的によく知られているターメリック(秋ウコン)とは

味も感覚も違う。

 

 

人から教えてもらって行ってみたインドカレー屋さんカレー

チーズナンが大好きだからそれ目当てで行った

そのお店でいろんなものに出会った。

 

 

 

 

 

お店に入ってオーダーし終わったころ

 

ん~~?これは?

 

ずーっと永遠に繰り返しながれている音。

 

Om Namah Shivaya~~

 

意味はよくわからないけど

そのマントラを聴きながらカレーを食す。

店を出てからも耳に残っていて口ずさんでいた。

 

Om Namah Shivaya(オーム ナマ シヴァーヤ)

 

声に出したことはなかったのだけど、

声に出していると身体が微細に震えるのを感じる。

ことばにしにくい感覚で、

理由とか目的があるわけでもないけれど

なんかその振動が心地よくて。

 

 

 

 

 

シヴァに関係するパワーストーン(シヴァリンガム、シヴァシャクティ)

を持っているのを思い出してその石たちとマントラを唱える。

遊びのような感覚で。

 

 

その夜ボブフィックスさんのHPで見つけたもの

 

2月から始まる誰でも参加OKなプージャトレーニング

 

ボブさんのHPを見るのはとても久しぶり。

3,4回プージャを体験する機会があって、

理由はわからないけど毎回涙してしまう。

 

なんかわからないけど懐かしい

身体が知っている、反応する

そんな不思議な感覚。

 

 

プージャがなんなのかもよくわからないのに

瞑想を極めているわけでもないのに

プージャが好きすぎて

 

いつか歌えるようになりたい

歌ってみたい

 

感覚で数年前からそんな風に思っていた。

 

 

とりあえず1回目を受けてみることに。

 

 

 

 

 

 

知識や情報よりも感覚が先行する

あとから情報が追い付いてくるようなタイプのわたし。

 

なんなのかよくわからない、理解できない、

理由もない、説明できない、

情報がおいつかないことも多く、

わからなくてもいいやって思ってたり

整合性みたいなものをあんまり求めていないところも。

 

頭で理解した方がいいことがあるときは

最善なタイミングでやってくるような気がする。

そうじゃないこともある。

 

 

プージャは、永遠なる共鳴の共有であり、

わたしたちは純粋意識(空)であることに目覚めます。

プージャを行うと、マスターたちがその意識を私たちにダウンロードし、

カルマを消し去り、もっと慈悲深い、愛のある私たちになれるよう

サポートしてくれます。

 

ボブさんのHPに書いてあったプージャの説明書き。

 

 

 

カレー屋さんでみた絨毯のような布に描かれていた青い人。

カレーを食べていて目が合ったから気になったのだけど

あれはクリシュナっていう存在だったんだ、とボブさんのHPをみて知った。

 

 

 

 

 

 

インスピレーションで感じたクリシュナのマントラ。

 

YouTubeで検索してみたのだけど、

ものによってはちょっとお葬式というか

宗教色強めなものもあって、

自分でアレンジして歌ったら楽しかったので録音してみましたハートのバルーン

 

 

 

 

ちなみにハレークリシュナマントラは、

 

永遠なる最高の喜び

 

という意味があるようです。

つい踊りたくなっちゃうような感覚。

 

 

今年に入って感じている

 

音 に呼ばれる

音 と共鳴する

音 と、 音 で遊ぶ 感覚。

 

うまくことばにできないけれど、

 

わたしにとって 音 とは

 

芸術、アートでもあり

表現の1つでもあり

美でもあり

喜び、歓喜でもあり

振動、波動、波 でもある。

 

 

それはどんな音でも。

 

 

音ってことばをはるかにこえていて

ことばや思考よりも早く、深くダイレクトに届くもの、響くもの。

理屈で説明できないもの。

 

どちらが良い悪いということではなく、

ことばは一見高度で複雑でいろんなことを説明できるように感じる

だけど限界がある。

 

音はシンプルだけどいろんなものが詰まってる。

それそのもの。原型のようなもの。

境界のようなものがなくて無限な感じ。広がり。

 

 

 

 

 

 

ことばで理解したいこともある、ときもある

ことばで理解することでなにかが深まることもある

 

でも、

 

ことばにすることで薄っぺらくなってしまう

壊れてしまう ものもある

ことばにしない方がいいものもある

ことばにしないことで保たれるものもある

 

 

なんでこんなことを書いているのかよくわからないけれど

わたしの超個人的な感覚。

根拠も確信もないけど、感じてること。

 

 

歌うことが好きで、

うたや音が身近にありすぎて

あんまりことばにしたことがなかったのだけど、

ハレークリシュナマントラを歌っていて表現したくなったことを

今日は綴ってみました。

 

 

わからない

説明できない

ことばにできない

 

感じてることをことばにすると

なんかズレる、間に合わない、遅い みたいなもたつくような感覚

 

そんな風に感じることが最近多くて、

文章でなにかを表現するということが少なかったので

なんだかちょっと新鮮な感じです。

 

 

 

 

 

 

アバター最新作

 


理由はないけれど、なぜか観てしまう映画

懐かしさみたいなものを感じる映画



映画をみて感じたこと

 

憎悪、怒り、悲しみ、

絶望、喜び、嬉しさ、愛おしさ

 

いろんなキャラクターの感情が繊細に描かれている。

 

それぞれのキャラクターごとに

役割みたいなもの、あり方、考え方

できることとか、いろいろ違うけど

それでうまく回っているんだなぁって

そんなことを感じた。

 

 





対立、争い のシーンもあるけれど、

どこか女性性を象徴しているかのような

そんなことを感じるシーンがなんだか印象的だった。

 

武器や戦いに必要そうなものはなにも持っていない

知識や戦略でもない

なんの確証も再現性もない

 

森の大いなる力?母?エイワと呼ばれるものとつながって

感じたことを感じたままにするだけで

不可能と思えるようなことを可能にする

なぜだか起こってしまう、できてしまう

 

力でも、技術でも、学 でもない

 

そんなあるのかないのかわからないような

説明もことばにもできないような

なにしたんですか?と理解不能に見えるようなこと

 

 

そんなことの中にも大きななにかが隠れている。

 

 

いろんなメッセージ性がある映画だった。

ことばにできないような感覚が散りばめられていた。





 

猫と遊んでいて思うこと

 

猫のゴロゴロ、ゴーゴー?と

喉元でなってる音、振動のようなものが好きでつい聴き入ってしまう。

空間のなにかというか、なにかを変えるような

ことばにできない不思議な音。

 


声、音 使ってるなぁって。

 



ねこをみていると自分をみてるかのような感覚になる。

わたしにとってのちょっとした新発見も

知人からすると、今さら?という反応。

なぜかねこの足をみてると、

ライオンキングのシンバ(こどもバージョン)が浮かぶ。

 

あしがなんともかわいいなぁってにっこり

 

 

 

 

 

最近はなぜかスパイスブーム(ウコンとシナモン)

 

ある日に急にサフランライスでカレーが食べたくなって、

そこから毎日ドリンクに入れて飲んだり、

サフランライス単品で食べたり。

 

塩麹、メープルとウコンとシナモンが意外と合う。

異色なものを組み合わせるのがなんか好き。

 

 

 

 

 

このブームはいつまで続くのかは謎。

だけど、身体はいつだって必要なものが直感的にわかっているというか、

自然ととっているというか、

賢いような気がしている。

 

 

風邪で3,4日寝込んで


身体は自分で動かしてるようで

自分で動かしていない。


って感じてから余計にそんなことを思う。



 

 

 

 

 

他人に意識を向ける、助ける

人に対してなにかをすることで

自分のことから逃げ続けていた自分を知った。

 

 

ほんとうはどうしたいのか?

いまなにをしたいのか?

なにをしたくないのか?

なにを感じているのか?

なにが好きなのか?嫌いなのか?

なにが喜びなのか?

 

 

他人ありきで

役に立つことで

誰かの機嫌をとることで

自分を差し置いて誰かのために、とすることで

存在価値を測っていたようなわたしにとって

 

何もしないこと、何の役にも立っていないこと

相手の機嫌を損ねること

相手の意図、期待がわかっていながらそれに応えないこと

静かに傍観すること

無価値で無能な自分と向き合うこと

心や身体がNoと言っていることにYesと言わないこと


 

こわさを伴うようなことでもあった。

 

 

 

 

 

「いい人」 頑張るのをやめる

自分に意識を向けること

エネルギーの向け先を見極めること

 

いい人、人間とは というような常識、固定概念を剥がしていく。

古い自分として生きのびようとするのをやめる。

生き残るための、安全だと思って被ってきた鎧を脱いでいくこと。

その鎧がなくても安全だと少しずつ体感していくこと。

 

 

歩みは遅くても時間はかかっていても

昔の自分に戻りたいとは思わない。

 

 

健全な境界線を設定することで

「急にどうしたの?さめたの?」

そんな風に言われることもあった。

離れていく人、壊れていく関係もあった。

 

 

罪悪感や無価値感は、

古い自分が消えていくときの抵抗、叫びのようなものでだんだん小さくなる。

古い自分が消えていく中で感じる不快感を見届けていくこと。

無様で惨めでどうしようもないような感じでも、そんな自分とも居続けること。

これを直視するのが嫌でなにかでごまかしてきたのだけど、

逃げたら逃げただけ自分のことを嫌いになる。

自分から遠ざかり信じられなくなる。

ずっとなにかに怯えることになる。

 

 

 

 

 

自分に正直にいるために他人をがっかりさせる、嫌われる勇気があるか

大切だと思っている人が自分に対して怒ったりがっかりしたとしても

自分のスタンスを保てるか

 

そんな揺さぶりの中で

人に嫌われても好かれても

誰かがいてもいなくても

自分の価値みたいなものは変わらないんだと思うようになった。

 

 

波風をたてることは危険、良くない

自分を主張することはわがまま

自分のニーズはほかの誰かのものほど重要じゃない

 

長年の思い込みを崩壊させるようなことがたくさんあったおかげで

 

周りの人に向けてきた思いやりやニーズを

自分自身に向けられるようになった。

 

 

繊細さや感じる能力が悪いわけじゃない

それを外ではなく自分に向けること

危険を察知するためではなく、

心地良さや喜びを追求するために使うこと

 

 

 

 

 

 

1人になって演じることも、喜ばせることもない

静けさの中で自分という輪郭が見えるようになる。

 

暗さや静けさやはこわいものではなく

祝福なんだと知る

 

自分という存在がどんなに尊くて希少でかけがえのない存在なのかを垣間見る

 

 

なにかをしてあげることよりも

その光を信じること

灯台のようにただあること

それが最大の贈り物になることもある

 

なにかを言う、ことばよりも

沈黙 が大きなメッセージとなることもある

 

そんなことを感じるようになった。

 

 

 

 

 

 

自分が自分を放棄していた ことを知ってから

感情や欲、願いのようなものがカラフルに感じ、

以前より血が通っていて?というか

熱を帯びて流れているような感じがする。

 

そんな感覚になってから

不幸よりも幸せになることを

失敗よりも成功することを

実は恐れている自分がいるんだと気づいた。

 

 

自分が自分といたら

自分のことを説明したり

なにかを弁明したりする必要がないんだと感じ、

今まではなにかを証明したり外側からなにかを集めるのに

一生懸命だったんだなって気づいた。

 

 

自分 自分 自分

今回はちょっと笑っちゃうぐらいその単語連発な記事になってますよだれ