昨年還暦を迎えた私の愛車ですが、無事61歳になりました。

 既に一昨年新品テールランプASSYが手に入り、今年のプレゼントと決めていましたが、一刻も早く取り付けたい、有る時買いの取り付けが私の信条ですから、もう取り付けて2年近い年月になります。無論調子よく作動しています。その時の様子がコレ。

4月のあなたはスペシャルランクでした! 還暦前祝 その後のプレゼントも | 髙村円淨のブログ (ameblo.jp)

 今回は取り付け2年の記事ではなく、昨年からジラした書き方をしてきた追加プレゼントが主役です。

頑張って撮影した涙目と桜の写真。更によ~く見ると今までなかった変な部品が???

そうです、テールレンズリムが昨年の3月上旬に手に入り、4月上旬までに再生しましてこうなりました。

ヤフオクでも欲しいブリキ等を泣く泣く諦めて、コレの為に精進(⁉)して参りました。特にこれは代表例で

★バンダイ1964年スカイライン丹頂鶴36年越しの夢叶う~ブリキ自動車コレクションから010追補 | ポルシェ356Aカレラ (ameblo.jp)

結果的にポルシェさんに渡ったのでめでたしめでたし!でしたが、他の方だったら‥‥それはさて置き、これに全力を注いだので断念した経緯があります。尚この落札価格より幾らか安かったが、想定外の出費でしたので、赤字でフラフラになりましたが、後悔はないです。

まず、このテールランプリム、本来は付きません。推測ですが60年代のお手軽カスタム部品であろうと考え、次の丸テールや角テールには付ける事が出来ませんので、63年式トヨペットRS40.46系用カスタム部品と思って良いです。当然メーカー非公認オプションです。

当然コレでオリジナル。このテールランプASSYは30年近く前に手に入れた新品です。

この左は初代師匠に弟子入りから3年した頃手に入れました。

執念で30年近く探し、一昨年遂に探し当てたもう片方の新品ASSY。どうしても灯火類は新品にしたかった!

因みにこれまでも中古なら何度か目にしています。

ランプが新品なので、その飾りだって綺麗にしたいものです。想定外の出費でも頑張らないとね!

その甲斐があり

自慢のトランククーラーと共にイベントではこの姿を見せびらかします。

で、肝心要のレンズリムを手に入れた直後の写真。初めはステンレス製だと思っており、〇田さんから研磨して貰えればいい物になるだろう!と考えました。

脇から見るとこうなるでしょう。

中古部品で、長年納屋に放置した車両から外したらしく状態はイマイチ

致命的な腐りはないと思っていました。

が、致命的な問題がありました!

 これステンレスではありませんでした。初め磁石に付かない鉄だ、何だコレ?と大騒ぎになり、リムの状態も思ったより良くないのです。更にリムには鍍金を施している事が判明し高額になる予感がプンプンになりました。而もコレ、存在を知ったのは高校時代で、旧車誌等ではなく、現代史の本で昭和30年代の風景を何気に取った写真の中にRS40がヨレヨレと走っており、涙目なのにレンズリムが付いている!と不思議な部品がタマタマ記憶に残り、「あの時のアイツ!」と思い出したのです。無論替えはないですし、これが初めて見た本物です。〇田さんも慎重になりました。尚研磨過程の画像を頂きましたが、何をしても取り込めず、この得体の知れない金属の正体が判りましたが、ココでは出せません。

何とか頑張って頂いて美しく仕上がりました。但し〇田さんには妥協頂きたいレベルの仕上げが、これ本来の姿で、余り完璧にやると違和感が出る代物である事は伝えました。鍍金の投入タイミングでかなり品質が変わります。これを拘ると数か月に及ぶ期間が必要になりますが、下地をしっかりすれば良しだと思うのです。これでも驚く様な美しさで新品時の品質を大きく超したはずです。

表より、これでも妥協なく仕上げた様に見えます。

裏綺麗に鍍金が回っている感じです。

サイド、間違いなく新品当時以上の品質ですね。

夜間点灯でこうなりますが、果たして???

さて、この謎の部品一体どこで販売したのだろうか?〇田さんと推理し、80%の確率で「ここだろう!」の結論に達しました。また会社の規模も概ね想像が付きました。

これは涙目用ではありませんが、この業者の可能性が80%です。このメーカー以外作るとは今の所考えていません。赤丸部分「メッキ TOKYO」に注目です。もうベテランマニアならピン!と来たでしょう。

 右が純正、左がそのメーカーです。品質が良くなく、かつてGSにはこのメーカーの取り扱いマニュアルがあり、「レンズにはガソリンを付着させない事。」の記載があったそうで、変形劣化の原因になるそうです。観音開きなら左テールに、RS40.41はナンバー灯が給油時注意でしょうね。

裏面。一応取り付けビスはきちんとしています。今まで取り付けが出来なかったと云う話は聞いていません。純正は中古品ですが(私の愛車に新車時から付いていた物)中古と比べても新品の方が艶が薄い感じです。品質の差が感じます。

メーカー名純正です。

そのメーカー。

コレが反射部分。実はレンズ中央部分に反射板があり、これに光を当て反射しないと車検が通りません。これはきちんと反射しますが、

この製品は微妙です。以前試しに2年程このメーカー製品にした時期があり、2年で怪しい状態でした。対策として赤の反射テープをバンパーなどに貼ればOKです。

然しレンズメーカーですから、取り付け部分はきちんと作られ

こんな風に、ホゾにもきちんと入ります。これのデザインも中々良い物で、開発した人はセンスがあるなぁ~とは思います。

取り付けビスも問題なく。

で、ここからが〇田さんと考えた結果です。材質は「真鍮」でした。当然ステンレスとなると当時は高額材料で、プレス機もより高額機が必要になるでしょう。恐らくこのメーカーは然程大きなメーカーではなく、金の卵らが数多くいる企業だと考えています。=コスト面から鍍金だって完全防錆対策は出来ないと思われ、プレス機もそれ程金を出せないだろうと推測しました。材質を真鍮にすればステンレス程のコストは掛からず、鍍金の方が安いのではないか?が結論です。古い鍍金剥離がかなり大変だったと聞いており、うっかりすると母材ごと溶かしかねないレベルだったそうなので、この推測に至りました。

 

 では真鍮に鍍金は他にどんな車があったのか?トヨタ2000GTが有名ですが、意外や‥‥

コロナRT40Dのオーバーライダーがそうです。

此方もでしょう。

ここからは私の推測です。無論こちらは私の専門分野(笑)どんな経緯があり製品化されたのだろうか?

 恐らくは…‥

64年式以降はレンズリムがRS40型やマスターラインであっても付きます。

それを見たタク上がりRS40オーナーや中古マスターラインオーナーが中心になり涙目テール(63年式)にはレンズリムがない事が不満点として上がり、それの需要があるとこのメーカーは見たのでしょう。

オークション画像より。これが丸テール用の純正リム1台分です。コレが追加された時のメーカー公式見解として、

昭和38年9月の新型車概要書では、「レンズの廻りに硬質耐蝕性クロームメッキの施されたモールディングを追加し安全性を高めると共に後方よりの外観を一層向上しました。」(原文そのまま)

やはり涙目時代にこの点が不満としてメーカーに寄せられたと思われます。

この動画を是非紹介したい!テールレンズリムが初めはあったが、最後は無くなっている。

多分綺麗に草刈りして壊したかな?グサグサ状態だったからね。尚このRS40の年式は1964年式で、昭和38年9月~39年7月までに製造された個体です。=フルシンクロ化直後のモデルですね。

ライバルのプリンスグロリア。

このモデルは鍍金が派手ですが、親会社BSの石橋会長より「これでは売れない車だ!」と云われ修正出来ない時期に会長へ初めて見せたので、派手なメッキ装飾にせざるを得なくなりましたが、中古ユーザーはプリンスS40系と比べるとRS40系は貧相に感じたかな?RS40系の開発コンセプトの一つ

「鍍金部品を必要最小限のスタイルにするには?」を考えた結果があのスタイルです。

これは先代のRS20系か30系テールランプASSY。先代モデルより地味になりライバルと比べてても派手さがないとなれば、クレームに繋がるでしょう。然しライバルはこのクラスのオーナーには「ウケ」ない車になってしまった‥‥でも販売での勝算はあるので、次期モデルで改良すれば良いだろうと考えたと思います。

皆はこういう見栄えにしたいのかな?

初代にあったが新型ではなくなってしまった。改悪だ!と思ったユーザーも相当数いたでしょう。

格下のRT20系でもレンズリムはあります。より不満が出て製品化の需要の掘り起こしが出たかな?

これを改良できるのがアウターパーツですね。

 以前ポルシェさんのブログに出た画像をお借りしましたが、このプリンスALSI風のサイドモールは衝撃的でした。本物のB級カスタム部品の広告にです。当時はタクシーよりも中古ユーザー向けのフシが強かったと思います。「他の車にない自分だけのカスタムパーツで着飾ろう!」と云うオーナーは多かった筈。これの取り付けを行っていたのが内装屋さんであったり鈑金屋さん。この時代不眠不休で仕事した話も聞きます。

 

 RS40でよく見られたのが、RS41のモールが付いた個体。当然ガラスは透明&モールなし、内装はSTDのまま、TOYOPETCROWNのままのエンブレムは仕方ないとしても、他にテールレンズにはリムとかフェンダーミラーバイザーを付けたくなりますね。僅か1年程度の販売車両に対してこの様なカスタムパーツを設定したと云う事はかなり涙目テールは売れたのでしょうね。

 

 私の愛車はそれがてんこ盛りですから、ある種「中古で御座ぁ~い‥‥」を強調する作りです。私がこの車に乗る!と決めた時点で既に14年オチ中古でしたので、それでいいのでしょう。さて、そんな愛車でドライブに行きます。こんな事を度々想像します。

 

 アイドルを探せ。山道を走る時こんな曲が心地よいです。特に50秒~の部分から用意した画像にある関山の大滝付近を走るイメージがあります。デビュー年1963年をどう走ったかイメージしてこの曲を選びましたが、今回はまさに私そのものである、見栄張るクンが現役末期の関山旧道を走る姿をイメージして欲しいです。恐らく今回紹介したレンズリムを買って取り付けるとなると、デラックスクラスはそういう人になる可能性がかなりあります。既に取り付けているミラーバイザーもそうですが、新車時オーナーは基本取り付けませんから。

 

同時に昭和39年の本日(RS41が製造され丁度1年後)我が家から出たパイロットが殉職しました。60年になります。その日の夕方間違いなく次の画像のルートをRS41は走りました。

5/19の夕方 | 髙村円淨のブログ (ameblo.jp)

アイドルを探せ何て口ずさむ余裕はない筈ですが、「嘘で有ってくれ!」とRS41の中で家族は祈った筈です。幾らパイロットに騙して迄就いたとは云え「知らない!勘当したからな‼」とは云えません。やはり大切な家族ですからね。

 何たや!贅沢なクーラーが付いっだずぅ~!おらぁ~こじぎだな高っがいオプションばな付けらんねぇ~がらなぁ。フォグランプ、4ドアさドアバイザーあるさげ、おらはミラーバイザー、レンズリムば付けだずぅ~!鍍金眩しいべぇ~っ!とここを走って・‥‥

さて、今度は下悪戸から上悪戸へ抜ける交差点だ。「こごがらはちぇ~っと道が狭ぐなるがらなぁ~!」

上悪戸さ行ぐのも大変だずぅ~!夜なぁ~おかないずねぇ~、まぁフォグランプ有んげっとな。

こんなの対向車線から来ねべがねぇ~。

 現役当時ここは大型バスやトラックも走っていたし、仙台行きのバスも走っていた。

これを抜けると上悪戸の次は西原、そして関山隧道開拓に功績を残した村山和十郎翁の生家前へ出ます。

 何とか抜げたじぇ~仙台の国分町さ行って、オラ自慢の「高級車」でひっかげで、クラウンさねぇちゃんば乗しぇで、と企む山形の「イナカッペ見栄張るクン」仕様ですな(笑)こういう奴がいるから、金持ちの多くは1回目の車検迄、長くとも2回目の車検前迄には手放すのです。まぁかつらざわ橋の桜も軽蔑した様な笑いをしているかな(笑)当時はそんなに大きくなかったかな?ここ辺りから先程の「アイドルを探せ」の50秒~を感じるのが特にこの部分です。

「んだれば、ここば左折さんなねべねぇ~」この橋を渡りますと大瀧へ着き、次が赤坂です。

橋を左折すると崖路を登ります。ソメイヨシノの前を通りましょう。

写真右側の道を走り、かつらざわ橋を渡った辺りですね。ここもアイドルを探せを口ずさみますね。

廃止から56年、払い下げから53年橋もこんなに埋まるものです。

 大瀧、赤坂と走り暫くすると関山隧道が見えます。

ここを登らないと関山隧道には当時は着きませんでした。(周りは全て山でしたね)現在のルートは1963年当時は計画、調査の最終段階ではないか?と考えています。10月~着工でしたので。68年ともなれば工事していたかも知れませんね。

 赤坂を過ぎて、関山難所に入りますが、見栄張るクン途中崖から「ホロげねべがねぇ~。」もうすぐ関山隧道です。因みに山形県側も結構難所(事故多発地点)があり、具体的な場所は不明ですが、昭和38年9月22日発生した一家5人転落死亡事故(六条家として仙台では伝えられているそうです。)はこちら側。

関山隧道です。ここまでの路線だけでも、到底高速システムオーバードライブは使える道ではないです。

ここは要注意、過去記事の通り迂闊に立ち入ってはいけません。

迂闊に行ってはなりません。 | 髙村円淨のブログ (ameblo.jp)

何故そうなのかは、アイドルを探せが終わってからじっくり熟読を。特に探索事例の大江戸クライシズさんの行為は恐らく、ご本人の身にトンデモナイ事が発生したと思います。柵が施される前だと、興味本位でここに来た人の多くは体調不良を後に訴える人が多かったです。どういう霊がいるかはここでは話せません。実際お会いした時お話します。だから厳しく行くな!と訴えるのです。

 

尚関山隧道周辺はクーラー及びオーバードライブは使用してはいけません。故障や事故(エンジンブレーキが利かなくなる)の原因になります。

作並を過ぎ定義如来方面、北仙台と走り漸く。(旧御伊勢沢橋、戦後すぐか?昭和40年代初頭で廃止)

ここ迄(御伊勢沢橋)来れば後は険路は超したと思います。

 1968年当時は建設中ですが、ニッカウヰスキー仙台工場。ここの前も走りますが、当時は熊笹が生える山の中の様な場所。ここをニッカウヰスキー創業者で当時2代目社長竹鶴政孝氏は即決で建設にGOサインしました。ここは当時養子で甥の竹鶴威氏が建設の中心人物。

国分町さ行って、綺麗なねぇちゃんばひっかげんべ!

 こんな風に出来るべがねぇ~。無理だべねぇ~。国分町のねぇちゃんはせめてRS50B(オーナースペシャル)でねぇ~ど。「こんな古びたクラウンは嫌ですわ!」でしょうな。

 

 

ブログスタンプ全獲得おめでとう!

*あのね、普通15日にコレが来るはずなの!今日時点で来ないから前回の物を使ったの。こんなに遅い事今までないよ!19日に絶対UPなので、やむ得ずこの様な対応としたよ!4月のスペシャルランク記事は既に用意している記事に使う事とするよ!

 

▼3月のあなたはスペシャルランクでした