比較的イベントでも多く目にする3代目コロナRT40。デラックスともなれば尚の事。

 然し今回のコロナRT40は全然違う代物!初めて確認した「たまげだ!!」個体です。

 実は昨年の寒河江市でのイベントで、見学者として訪れられた方から当時聞いた話で、次からの画像の話をされて、俄かに信じられなかったが、頭の片隅にずっと残っていました。

 G4表記がある自動車ガラス証がある!とその方がおっしゃいました。G4は兎も角G5ですら見た事がなく、今まで見たRT40系は全てASAHIの刻印がある年式を打刻したタイプではないので、半信半疑でした。然しオーナーさんの知識を考えると到底インチキを話しているとは思えない。なので半信半疑でいたのです。

 

 尚RS40系も丸テール時代でもASAHI刻印が昭和39年後期の一部でも見られる個体があります。

 三角窓にもこの刻印が確認。撮影は上手く出来ませんでしたがG5刻印もありました。恐らく昭和39年12月~40年の1月中に製造された個体か?

 防犯上の理由で車体番号公開は出来ませんが、4万番台の番号で昭和40年3月までの完成車だとしても、当時の状況を考えるとそこまで大量に生産したのだろうか?

 ナンバーからすると、最近オーナーになった感じがしますが、これは3台目のRT40で、私より2歳年上の方でしたので、34年の運転で殆どがRT40が手元にあったそうです。昨日の記事にありますが、先の3.11の時2台目のRT40を失われたとお聞きして驚きました。仙台のイベントでは震災を乗り越えてオーナーになられた方の話を耳にします。

 さて、このRT40Dには決定的なその後の前期型の違いがあります。何でしょうか?

前期型でも後期のモデルは赤丸の部分にはビスが留められている。とオーナーさんからお聞きしました。この個体は最初期型の証です。恐らく2か所では足りなくて、バタバタ音がしてクレームが出て変更されたのでしょうね。

 流石真面目なオーナーさんだけあり、左右内外きちんと東芝の電球です。

 昭和57年迄はヘッドライトは左右同じメーカーでないと車検は通りませんでした。それ以前、この時代の球は、左右メーカーが違うと寿命にも影響があったと聞きます。44年前解体屋で遊んでいると解体屋の息子と間違えられ「坊や、このライト幾ら?」とツナギを着たおじさんに声を掛けられました。

一番初めに目に留まったのが、このマジックカーテン。47年前RT40Dが好きになった時青ラメが目に留まりました。RT40Dも候補でしたから、購入となればこれを付けたでしょう。

 このマークも間違いなくありました。懐かしい!

 まさにこの色のRT40Dが47年前に好きになった廃車体。昭和48年6月までの定期点検ステッカーに49年12月までの車検ステッカーがあり、恐らく昭和39年式。多分イベントの個体と同じ最初期型でしょう。

 この色(サターンベージメタリック)の最初期が30年前に見つかればRS41はどうなったか?

 純正マフラーカッターが付いています。

この個体はポウライトグリーンメタリック。かなり珍しいです。

まさか?とは思いますが、34年前に絶版車100に個人売買で出された神戸5付きの今の姿では?と思いましたが‥‥そうではないかな?これも昭和39年式で出ていました。

入手先が岐阜県なので、可能性がゼロではない‼

47年前このデザインに憧れた節がありますが、フロントマスクが特に好きでした。程度は中々良い。

 デラックスの証

 

やはり47年前この特徴あるマスクに憧れました。

これも平成元年3月15日に一晩のうちに姿を消しました。大伯母(窈子(ようこ)、令和2年5月没、満年齢104歳5ヵ月、享年106)が大きく関わっていました。この車の右隣に当時はエンジンがあった涙目RS41(翌年エンジンを抜き取りダイナに移植して、位置が変わり代わりにブルーバード510が置かれた。逆にRS41が入り口から近くにありシフト練習が後年簡単に出来た)

意外ですが、ドアバイザーが4枚あるRT40は少ない。

 廃車置き場にあったRT40Dはバイザーなし。

47年前このホーンリングにRS41と同じ位好きになった。

オリジナルバッチ。JTAは私の物とは違い、こちらはトヨペットバージョン。トヨペット店購入がコレですが、東京トヨペットはどちらなのだろうか?

 TDKは有名。これトヨペット協会と同じ組織。レジャーが少なかった当時は楽しいイベントがあったでしょう。我が家は加入していませんし、同好会が有っても参加しない筈。

オリジナルミラーです。素晴らしい!

 

今回仙台のイベントで大収穫はこのRT40Dです。参加して良かった!

 

 

 

 

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