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 今回リヤシートの座面部の修理が完成しました。漸く内装の予定していたレストアが終わりを迎えたかな?元々この座面修理を66回目のRS41誕生プレゼントを予定していましたが、果たして本当に修理が出来るのか?不安があり濁していましが、上手く修理が出来た為66回目の誕生プレゼントとしました。症状として座面のスポンジが粉化しボロボロ落ちて、暫くは「どこから落ちるスポンジなのか??」でしたが、リヤシート座面と判り、判ったまでは良いが果たして治る物か?どうしよう物か?と考え手捏ねいていたのが実情でした。それがようやく決心できたのが昨年の春。初めは椅子張り店に問い合わせましたが、「自動車用シートは対応できません!」で困り果て、「犯罪以外は何でも出来る。」と豪語した自動車内装屋へ依頼する事となりました。(この業者と20年は付き合っている)当初の予定は11/24に預けて、1ヶ月程度でしたが、伸びに伸びて2/26完成となりました。66回目の誕生プレゼントに!と検討した頃作った記事が。下の記事。この記事作成から1~2ヶ月後業者に相談に行きました。(不安があった時期ですね)

6月のあなたはスペシャルランクでした!超早い誕生プレゼント | 髙村円淨のブログ (ameblo.jp)

 

 今全国各地で職人不足から鈑金修理が完了まで数ヶ月掛ると云われている時代。事故を起こした物なら数ヶ月戻らない話がYahoo!ニュースに何度もありました。山形の場合鈑金屋よりも自動車内装修理の業者が居なく、山形県内陸の業者となると片手で数えられる数です。山形市内に大手業者はいますが、現在は個人持ち込みの旧車修理は「全てお断り」しています。個人業者でも腕のいい業者となるとどの程度まで数が減るか‥‥。なので事実上旧車内装修理は山形県内では「既に何処も出来ません!」旧車を選ぶポイントとして山形県のマニアは内装がしっかりした物を選ばないと本当に大変です。尚今回依頼した業者は、腕がいいのでかなりの数の仕事を抱えている様子。なので一見さんの客は依頼しても断り、更には「修理の期日は確約出来ません。」依頼して受けてくれる客は私など古くからの客位。程度の悪い内装の旧車は山形県では「自分で確実に修理できる人のみ」手にしてもなんとかなります。

 この画像は預ける直前の頃11月下旬ですね。クリスマスまでには仕上がるだろう!と業者も見ていましたが、一向に修理が始まらない。業者は「髙村さん以外の修理でも1年待ちだぁ~!」が毎回の返事。何でもいすゞ117クーペ用を預かっているが、昨年以前から1年は預かっているとの事。

 

 一向に作業が始まらずしびれを切らした年末、「じゃ~中のスポンジ剥がしてくれるぅ~!」となって、「シート表皮を剥がしてくれ!」と私は云い何とか動きました。その画像が

 この骨組み。状態は良い。錆らしいものはありませんでした。

 畑にあるGS130はかなり錆が見られ、やはり草ヒロになった廃車体は内部部品も著しく錆が回ると考えられます。

参考:GS130のシート骨。何か月も放置したのではないです。鉄くずとして引き取って貰う為に解体直後です。やはり草ヒロ個体は使えませんね。なので、RS41の骨組みが凄く程度良く見えました。

こんな姿もう見られないだろう。

 表皮だけの画像、見た目が変わらない。完成品と比較しよう。

 完成品はこうです。ここ迄仕上げるとて大変な苦労がありました。一番初めの依頼直前と比べると膨らみが感じませんか?当時物の表皮を生かした修理は現在できる業者が居ません。如何に状態の良い内装の個体を探すか?が旧車を維持するポイント。それとあと見る事が出来ない貴重な画像として…‥

 表皮裏はこう。雨漏りもあっただけあり汚い!

 子供の頃ジュースをこぼした記憶が…‥????これかぁ~???

 包みボタン。これも今は気軽に取り付け依頼が出来ない。何せ生地がないからねぇ~っ。

包みボタンに布が剥がれるとこうなります。

 これは骨組みとスポンジの間に有った合成繊維。何だか判らないがスポンジが張り付き必死に剥がしました。スポンジ剥がしを業者は結構嫌がりました。粉と化したスポンジを取り除くのが大変で‥‥が良く業者の口から出て、(何でも作業場をこのシートの為に1日空ける必要があるとか何かで?)しびれを切らした時「もうそろそろ皆取れましたか?」となった時、業者が中のスポンジを剥がして欲しいと云った訳です。最初は戸惑いましたが、イザやると引き取りに行った12/28には殆どを剥ぎ取っていました。その後暇見て1/4迄剥いでいました。これもあってか張り替え価格は3万円に消費税でした。

 シートの裏の麻。これは肥料になるので、

 自宅前畑の生ごみ肥料埋め場に埋めました。麻布の下は生ごみギッシリです。

 枯れ葉を撒いて埋め戻しました。これは1月上旬頃です。

遂に完成したシートです。11/24に依頼し、2/26に完成しました。(確か1/10に業者へ届けて、2/19まで放置されていた。)先程の布が剥がれたボタンが駄目で、内装屋が自然な色合いのグレーボタンを探してくれました。実は業者が他のボタン1つ紛失してしまい、旧車ショップにボタンを問い合わせましたが、どれも使えそうもないとなり、2つグレーボタンに入れ替えそれで行く事にしました。正直目立たないのでこれで良し!

 裏側。一つはそもそも縫い付け針金がなく、この様な留め方。別にしっかりしていればそれで良いや。

この部分付近は

縫込みが難しかったらしい。どうにかこうにか縫い付け対応をしたそうですが、オリジナル表皮を使う技術は恐らくこの内装屋でないと出来ないでしょう。

縫い方がどうこうでなくシートにカバーを掛ければ別に判る事はない。

大事な事は表皮をなるべくオリジナルで残す事。そこは拘ります。

 実際座ると、今まで針金の上に座る感じでしたが、今はそんな事がない。本来のRS41になった感じです。これなら誰を乗せても評判がいい筈。内装は基本フルオリジナルのつもりです。

 🐇とピンクを今度こそ乗せようと思い、撮影直後ピンクを誘い座らせたら、「確かにシートは良くなったけど、長くは乗れそうもないなぁ~がぉぉぉぉ~!」でやはり乗りません。2匹とも相変わらず尻尾を振って無視するだけ。

 

 ここからは過去の修理、ダッシュボード編

 今回シート修理を依頼した業者と同じ業者に修理依頼しています。

10月のあなたはスペシャルランクでした!内装のレストア:その1 | 髙村円淨のブログ (ameblo.jp)

 この記事と今回のシート修理、これからの記事、ドア内張ビニール張り含め、リヤクーラー吹き出し口取り付け、ボードビニール張りの修理は全てシート張り替えした内装業者の手によるものです。 

 この過去修理を含めてこれまでの内装レストアの記録記事となります。

 

 ダッシュボードの変形に気付いたのは2019年8月頃。過去の写真を探しましたが意外と残っていない事に気付き、意識して探して気付いた事は無意識に撮影したがどれも綺麗に撮れていたのです。後で紹介する写真でやはり相当前から変形があった事を確認しました。

 

発見当時「ヤバイ!このままでは次の写真みたいになるのも時間の問題!」と危機意識は持ちましたが、果たして修復は出来るのか??と思いましたが無作為にHPを見ると修理は可能ではないか?と思いました。そこでダッシュボードなので山形県内では最大手で、山形市の大手内装屋に電話で問い合わせましたが「少し前まではダッシュボード修理の下請け業者がいたけど、今は辞めたので出来ない。」と云われ、以前から付き合いがあるシート修理をした業者へ泣きついたのです。ダッシュボード修理時みたいに早くやってくれると思ったが、そうならず、3ヶ月も掛かるとは夢にも思わなかったのは、ダッシュボードの修理が理由です。やはり内装屋は同業者が少なく、後継者が育たないので長期化しやすいのかな?

 

 その当時11月までは無理と云われ、その後も仕事が立て込み12月になりました。流石に12月となった時は降雪を考え青くなりました。然し年末~年始、大寒までの間殆ど雪がなく驚きましたが12月17日に預けたら実はその日の夕方に終了し、3日は掛かるとみていたので当日は夜勤で翌日大慌てで、金を引き下ろし引き取りに行きました。この時代は何とか余裕があったのでしょうかねぇ~、確か当時工場長だった方が一人でやっていましたが、今は事情が変わり、内装屋は廃業して、工場長が工場を借りて営業しているのです。

 

 内装屋に相談に行った時真っ先に頭に浮かんだ将来の画像がコレ。現在この車は知人の手に渡っています。

 工場長が「もう5年もするとスルメイカみたいに捲れあがって、パリパリになるだろうな・・・。」当然この写真の様になれば手遅れ。

 もっと現実的に感じたのがコレ。左端が同じ状態です。冬場こんな風に「パキッ!」となれば・・・・これも手遅れですし、こうなる前に何とかせねば。これが将来の姿だろうか!

 修復直後です。結論から書けば変形は完全修復は出来ないと云われましたが、これでも良いです。今もこの状態から変化していません。内部にボンドを流し込んだみたいでした。オリジナル内装の修理は困難を伴う物です。

 実はこの写真は2012年です。クラシックカーレビューイン日本海の時の様子。当時はドアオープニングカバーの内装はボロボロのまま。よく見れば判ります。それよりダッシュボードをよ~く見て下さい。ほぼ同じところが変形しています。

 概ね同じように撮影しましたが変化がないので、2019年の変形が進んで見えたのは猛暑で目の錯覚を起こして変形が著しく感じたのでしょう。撮影は2020年4月頃。

 今もそうですが修理前はダッシュボードがフカフカする感じでしたが、今はガリっとした感じです。

       <オマケ>

 

 行こう行こうとしていた、私のトヨペットクラウンデラックスを登録した旧新潟運輸局山形陸運支局の跡地前での撮影。昭和25年から39年7月末迄この地にあって、その後日通になり、10年ほど前から今の姿、ほぼほぼ予定していたレストアが終わったので撮影。山形5 す 37-41のナンバープレートをこの地で昭和38年6月に交付。周りの車屋も「ないだてたまげだ!クーラー付きだべぇ~!」「どごの旦那衆乗るんだべが?」もし東京トヨペットのセールスがポロリと云えば「ないだて、山形駅の国鉄マン⁉ほっだえな職員いるんだべが?」となったでしょう。山形市北部は往年の山形の自動車屋さん街。この近辺にはそういう面影はないが、1㌔2㌔圏内にはその名残があります。

 でも‥‥やはり住宅密集地でJR北山形駅前ですから、こんな所での撮影は相変わらず変質者丸出しなので構図は考えられませんし、勇気が要ります。

 色々用事をこなしていたら22万2222.2キロをゲット!(白は200Ⅿですが既に2回転目の222222です)

 ハイヤーでもない限りここ迄走らないだろう。

 

 

▼1月のあなたはスペシャルランクでした