どこからこんな話が出たのかな?

 あくまで会長は「この車(S40D-1)は売れない。」と云った。やはり会長の云う通り本当に売れなかった。派手なメッキモールは、開発陣が絶対の自信を持っており、会長に見せるのは発売時期が近い時期とされました。一同「素晴らしい車だ!良くやった!」しかないと思っていたが、まさかの‥‥でした。

 

 新たに作り直しは出来なくなり、やむ得ず取った処置がこの派手なモールでした。好きな人には好きなデザインなので、ライバルのクラウンには遥かに及ばない販売台数の差が出てしまい、反撃チャンスになったのは第2回日本GPの時。ソコソコ活かした物の、到底クラウンには及ばない差が出ていました。

 

 無論私はS40D-1、S41D-1共に涙目テールRS41と同じレベルの好きな車です。昭和55年7月の夏休みの時雑木林にあった廃車体に一目惚れ。前年ライダーキックした外車みたいな車だ!が私の当時の認識でした。旧車好きになり5年。寿司職人で云えば飯炊きが出来る様な時期かな?マダマダ握りは出来ませんでした。

 

 

 

 

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