昭和38年9月2代目クラウンの1回目のマイナーチェンジが行われます。
特に大きなウリとしてミッションがフルシンクロになった、トヨグライドがオートマチックになったです。
デザインも前後に変化があります。このモデルに「丸テール」と名付けたのは私。その時の理由は「涙目テールは決まった、でもこの車のテールは??」と考えた時特徴がないので、あえて丸テールとしました。なので昭和40年7月以降は丸ではなくなるので角としました。正直こちらは余りやる気がない付け方ですね(爆)それと最終マイナーチェンジは昭和41年9月ですが、これについては分類していません。オーナーさんには悪いけど角テール以降は皆一緒と見ていたのですね、どなたか良いネーミングを付けて見て下さい。多分それがマニア界に浸透するでしょう。ついでと書いては難ですが、涙目、丸テールはボンネットの長さからショートノーズ、角テールはロングノーズと呼ばれており、これは私は関わっていません。恐らくですがハコスカの呼び名を転用したのかも知れませんね。
1964年式でも初期はこの2つが存在します。
右側のメダルシールなしが多分新しいと思います。実はこっちは思い出深いカタログで、何度か書いていますが1991年のニューイヤーで2万円前後で購入しました。当時はバブルでカタログはかなり高価でした。然しそれは無駄には思いません。
この車の特徴を徹底して覚えましたから。これも今まで幾度か書いていますがオーバードライブの特性をこのカタログで知ったのです。ですから「何が何でも涙目テールRS41を復活させる!」の思いが強くなりました。
昭和38年5月3日4日に鈴鹿で行われた第一回日本グランプリでトヨタ全クラスで優勝を飾り、その結果をセールスに使いました。
昭和38年いっぱいはレース結果をカタログでも盛んにPRしていました。
メダル付きのカタログの写真。
これは良い写真です。中々デザイナーのセンスが光ると思いますよ。
こちらはメダルなし。これはこれで中々いいセンスですね。
昭和39年でも3月以降はコチラ。
従来の内装はこうでした。これは涙目テールの昭和38年3月モデル~丸テール初期型まで同じ写真を転用しています。
昭和39年3月~シートの一部が変更されます。
実はこのカタログを3種一纏めにしたのには理由があります。
以下の写真全てこの3種は共通です。
レジャーに使っております。猛烈サラリーマン時代の黄金の60年代でしたが余裕が少し生まれつつあったのでしょうか?
ゴルフをするにもスーツだったのでしょうか?写真には完全に取り込んでいませんが、右下の男性もスーツ姿でレジャーを楽しんでおります。当時学生はカラスみたいな黒い学生服に丸帽、成人男性はスーツがレジャーであっても着る定番でした。
やはりここでも同じです。
当時はクーラーを取り付けられる人は殆どいなくこうして窓を開けるのが常識でした。
どこかのクソボーズの家では庫裏さシコタマじぇねっこ貯めていたのでしょうからトランククーラーなんてケッタイな物付けていました。
いずれ機会があったら紹介しますがダッシュクーラーは結構悲惨な物だったみたいです。
どうしてもこのカタログのこの写真を見るとこの曲が浮かびます。
他にも将来やりたい鉄道模型の東北本線下りを快速南三陸海岸のキハ58で走ったシーンも。
判りますよね。
油圧が大分低いな(メーターの右端)水温もしかり。
ボデーカラー。左手前のシルバー、ドロミッティグレーメタリックが追加され、はっきりしませんがパーツリスト上では涙目テール時代OPT設定のインペリアルマルーンメタリックが正式な設定です。
RS40型はこのカタログからあっさりした内容になりました。
無論画像も同じ物の使いまわし。
ボデーカラーは5色ですね。
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