今回は古典的狂言「樋の酒」「魚説法」新作狂言「ちょっとGTP」の3作を拝見した。

 

「樋の酒」ではまず太郎冠者米蔵と次郎冠者が酒蔵の留守番を命じられる。

案の定二人とも酒を目前にして飲まずには済まないというお決まりのストーリーではあるのだが、例に漏れず、酒を飲むことにかけては最大限のクリエイティビティを発揮することになる。

米蔵の番をしている太郎冠者はそこを離れる訳には行かない。そこで次郎冠者は雨樋を使って米蔵の番をしている太郎冠者に酒を飲ませようとする。

ここで、雨樋なんか使ったらコロナや麻疹にかかるのではないかということは常人の発想である。

太郎冠者は嬉々として雨樋の酒を飲む。まるでニコチン依存症患者が道端に落ちているタバコを拾って楊枝に刺してしがみ着くように吸うという姿にも似た浅ましさであるはずなのだが、狂言として演じられると何とも言えない可笑しみが伝わってくるから不思議なものだ。

 

「魚説法」と題名だけ聞くと魚に説教した聖アントニオの日本バージョンかしらと思ったのだけれど・・・実は古典狂言の世界には「さかなクン」みたいな人がいたのだという発見!!!

お布施は欲しいが説法はできずという新米僧侶の唯一の得意技はさかなクン並みの魚知識。生ける魚図鑑の得意技を繰り出し説法に臨むや、次々と魚が帰依しというサクセスストーリーに勿論はならず…(狂言ですからね…)

 

「ちょっとGPT」題名からして楽しい予感。「ちょっとGPT」AI搭載人型対話AI。姿はカラクリ人形、動きは古典的SF映画に出てくるロボットがマイケル・ジャクソンを真似しているかのようだ。

まず「ちょっとGPT」は自主学習のため渋谷のスクランブル交差点にやってくる。

省略形過剰の若者言葉を操る若者たち、何でもハラスメントな職場で働く上司と部下、売れない漫才コンビの路上ライブ、外国人へのスクランブル交差点歩き方指導・・・などなど・・・「ちょっと」は様々な学習を重ねていく。その学習課題には現代の不安だったり理不尽さが現れていたりする。

AIが進化したらどうなってしまうのだろう・・・人間は駆逐されてしまうのだろうか・・・職場では酒を飲みに誘ったらそれだけでハラスメント・・・息子や娘からの返信メールは「り」だけ・・・そんな日常に溢れる不安や理不尽さ、それらを笑いの中で捉え直すと世界観が一新されてしまう。鬱屈したものが一気に祓われていく。

日本神話の中でアメノウズメが天岩戸の前で踊った時、神々が大いに咲ったという。そんな咲いが狂言の中にはあるのかもしれない。