本業の介護タクシーでご旅行されるご利用者様をお連れして、

静岡県の修善寺温泉に行きました。車DASH!

夕方に宿までご案内した後は・・・

久々に「鉄オヤジ」の本領発揮しまして・・・ニコニコアップ

修善寺から伊豆箱根鉄道に乗ってきちゃいました。チョキ
修善寺駅は現在改装工事中です。

伊豆箱根鉄道は小田原と南足柄市の大雄山を結ぶ「大雄山線」と

修善寺から三島を結ぶ「駿豆線」の2路線からなります。

今回乗った「駿豆線」は19.8㎞、駅数13の単線で

約15分間隔で走る西武鉄道グループの地方鉄道です。
なぜ駿豆線に乗りたかったか・・・・

それは、かつて西武池袋線や新宿線を走ってた「新101系」が

2008年から譲渡され走っているのです。
その懐かしい姿を見たくて乗りたかったのです。

岐阜県で開業されてる介護タクシーのお仲間から

「懐かし鉄」と命名していただきました。

大垣市の「さくら介護タクシー」の大島さん、

ありがとうございます。その通りでございます。にひひあせる

修善寺駅に行くとオリジナル車両の3000系と共に

新101系改め1300系が並んで停車してました。
車内に入り早々に運転席を見ると・・・
無線機の形状とワンマン改造された以外は、
自分が高校時代から見てた時と同じ!

懐かしく思わず涙が出そうでした。

ちなみに3000系の運転席はこんな感じ。
ワンハンドルでした。

1300系の車内を端っこから見ると・・・
自分が高校時代から見てた時と同じ!

西武時代と全く変わってませんでした。

懐かしく思わずオシッ○ちびりそうに・・・。ショック!失礼しました。m(__)m

修善寺駅はJRの踊り子号も乗り入れてくるので
自社の車両は3両編成ですがホームの長さは結構ありました。

さて1300系に乗り出発。

単線の路線ですが列車交換駅は意外と多かったです。

直線の部分も多く、最高時速85㎞なので

その時のモーター音は西武時代と変わらず。
ただ揺れは結構ありました。地方鉄道の辛いところでしょうか。

途中の大場(だいば)駅を過ぎると

伊豆箱根鉄道の車両工場兼車両基地があります。
ご覧のとおり車道を横切って入出庫します。

車道を横切って入るって、かつての西武所沢車両工場を思い出します。

修善寺から約32分で終点の三島駅に到着です。
三島駅は東海道新幹線、東海道線も停車するターミナル駅です。

この日は日曜日でしたが結構乗降客も多く、

夕方だったので部活を終えた高校生もたくさんいました。

ただ残念なのは大雄山線では「PASMO」が使えるのに、

駿豆線では使えません。ショック!

JR東海の「TOIKA」も三島では使えても駿豆線導入は無し。

今後の課題でしょうね。自分も切符を買ったのは久しぶりでした。

すぐ折り返して修善寺へ戻りましたが、
夕暮れの富士山のシルエットがとてもきれいでした。

今後も本業と趣味を一緒に堪能できる仕事があればなあ・・・。

「懐かし鉄」的に乗りたいのは滋賀県の近江鉄道、
ただの「乗り鉄」的には三陸鉄道なんですが・・・。
埼玉県から滋賀県や岩手県に介護タクシーでご移送希望のご利用者様、

そのご家族の方のご連絡携帯お待ちしております。m(__)m
韓国ソウルで昨日、地下鉄の追突事故が発生しました。
まだセウォル号沈没事故の悪夢が冷めやらぬ時に発生した事故。

怪我をされた方が200名以上という事で、あらためてお見舞い申し上げます。

さて今回の事故原因は自動列車停止装置の故障と言われてますが、

ソウルメトロ2号線の列車停止装置は日本とほぼ同じの「ATS-S」だそうです。

ホーム下の線路の間に弁当箱のような形の物体を見た事があると思います。

あれが「ATS-S」の地上子です。
車両にある車上子から電波を照射して地上子の上を通過する事で

車両の速度や位置を判断して自動的に停止させる装置って感じです。

でもATSの投入スイッチは運転席にあります。

以前JR北海道で職員がATS装置をハンマーで壊したって事件が

あったような気がしますが、基本的にATSという装置は

運転士主体の安全装置です。

だから故意に電源を切って走行することも可能なのです。

日本でも何らかの原因で遅延が発生して、回復運転をする時に

ATSの電源を「切」にして制限速度を超えて走るような事が

問題になった事があります。

今回の追突事故が人為的ミスなのか機械的故障なのか

まだ判明しませんが、決して日本では起きない事故ではありません。

今回は車内アナウンスがあって脱出も素早くできたようですが、

ソウルメトロ2号線は「架線集電方式」つまり屋根の上にある

パンタグラフで電気を集め走行する方式です。

日本のほとんどの電車がこの方式ですが、中には地下鉄銀座線や

丸ノ内線、札幌市営地下鉄南北線、大阪市営地下鉄など、

車両の横から電気を集め走行する方式もあります。

これを「第三軌条方式」と言います。
このような電車で事故が発生して、慌てて車外に出てしまうと

600V以上の電流が身体に触れてしまう危険があります。

地下鉄の事故は地上を走る鉄道と違い、閉鎖性が強く

パニックを起こす可能性がありますが、落ち着いて

放送を聞くなりして冷静に行動する必要があります。

今回の事故も決して対岸の火事ではありませんので、

心の片隅にでも置いて乗車してください。
朝からニュースで話題になってますが

「国際記念物遺跡会議」(イコモス)が

富岡製糸場を世界文化遺産へ登録するよう

国連教育科学文化機関(ユネスコ)に勧告し、

6月の正式決定に期待を寄せてます。
実は富岡製糸場には少し思い入れがあって、

大学の卒論のテーマで日本における明治期の

近代化を取り上げました。

その中で富岡製糸場と官営八幡製鉄所を中心に
資料を集め書きあげました。(写真は官営八幡製鉄所)

当時の卒論ではデータや写真を切り貼りしても

問題にはならず共同執筆者もいませんでしたので

この卒論で無事卒業しました。にひひチョキ

富岡製糸場は明治5年(1872年)に

官営模範工場として操業を始めました。
製糸場の中心をなす繰糸所は

繰糸器300釜を擁した巨大建造物であり、

世界最大級の規模を持っていました。

工女たちの労働環境は当時としては

先進的な七曜制の導入と日曜休み、

年末年始と夏期の10日ずつの休暇、

1日8時間程度の労働で、

食費・寮費・医療費などは製糸場持ち、

制服も貸与されました。

今話題のブラック企業とはエライ違いです。

しかし官営として厳しい規律が存在していたことや、

作業場内の騒音など、工女たちにとっては

ストレスとなる要因も多かったようで、

満期(1年から3年)を迎えずに退職する者も多く、

その入れ替わりの頻繁さから不熟練工を多く抱え、

赤字経営を生む一因となりました。

また、様々な身分の若い女性が

同じ場所で生活していたことから、

上流出身の身なりに合わせたがる工女も少なくなく、

出入りしていた呉服商・小間物商から

月賦払いで服飾品を購入して

借金を重ねる事例も多かったそうです。

その後、官営から三井右矢印原合名右矢印片倉工業と

経営者が変わりましたが1987年に

操業が停止するまで一貫して

製糸工場として機能しました。

現在は富岡市に寄贈されて2005年から

一般公開されてます。

これを機会に是非ご覧ください。