学生時代にやりたいこと

インターン @海外 or 研究@海外 or 勉強@海外

・研究のシナリオをほぼ完璧にする

 

ヨーロッパのインターンの魅力

・たまたまヨーロッパは自分と関わりがある

・文化→価値観、考え方、システム、食べ物、生活様式、建築が異なる

・新たなアウェイ感 (日本にいる時のアウェイ感とはまた違い、より居心地が良かった)

ゲルマン系の言語の響きが好き

・自分の考えをストレートに言える友達がいる

・知らない世界、知らない物、知らない事がたくさんある→新しい世界

・アジア、北米とはまた違った温かさを持つ人がいる

・気候、夏の空気、インテリア、シンプルさが好き

・絶対に生きていくのは大変→傾斜理論*1

 

*1 傾斜理論

例えば日本で量子力学を学ぶのと、海外で量子力学を学ぶのだと、後者の方が言葉や文化などの様々な障壁がいくつもあり難解であり、その分知識を得たとき非常に力が付くという考え方。

 

精神的に追い込まれ、第1志望に行けず、学業の内容は自分が一切興味のないもので、マジョリティの男子には総選挙と言う名のマウンティングをされ、男子と喋ればSNS位置情報が載せられ、SNSにLINEを晒されて、あらぬゴシップはすぐに広まり、直接嫌味を言われ、女子からも信じてもらえずハブられて避けられ、信じていた友達にも堂々と裏切られ、元カレには突き返されて陰口を言われ、留学選考に最終で落ち、課題に追われバイトもできず、自力で問題に取り組み、レポートが多くて週の半分は徹夜でリビングで寝て、ボランティアとも両立し、一生懸命女子と仲良くして、元カレに2度も裏切られ、浮気され、いくつものイベントは土曜の授業で諦め、厳しい教授の下で指導を受け、徹夜か終電帰りの実験の日々、パワハラとセクハラと嫌がらせを受け…

 

それでもずっと続けてこられたのは、たった1つの目標を達成するためである。

それさえ叶えば、今までの苦しみは全部報われる。苦痛な試練はこのために乗り越えてきたのだと思えるからずっと頑張ってきた。

何度3階のトイレで泣いたことか、元カレが味方になってくれず、友達に避けられ、留学選考に落ち、教授に厳しいことを言われ、自分がもっと上手くやれたらと思った。

 

4年間の全てをこれで報いることができると思った。

今まで怒りエネルギーで多くの困難も全力で乗り越えてきたことの集大成、最後はハッピーになれると思っていた。

インターンの選考時も不安なことが多く、家族とも教授ともに押し上げられて書類を完成し、家族、教授、先輩方、友人の助けもあって、挑戦した。支えてきてくれた全ての人の力で私は夢への切符を手にした。

ようやく掴んだチャンス、これまでの4年間が走馬灯のように流れた。

その後も、このチャンスを励みに研究と準備、研究と学業を両立してきた。

 

何がいけなかったのだろう?

これまで多くの人を傷つけてのし上がったからか?自分の力に見合わないからか?その立場に甘んじているようだったからか?

コロちゃんが全てをかっさらった。

 

誰も恨めないし、これほどの怒りエネルギーを持ち続けるほどの力もない、全てを失った気分だった。

何のために私は今まで、なぜ今なのか?ポジティブに捉えようと、表向きには散々言った。

きっとこれを乗り越えれば、十分に力を養ういい機会、これを機に今できることを精一杯、来年もっと良くなるために今がある、、、

でもどこかでちゃんと「次の保証がどこにもない」ということを知っていて、逆に「今しかなかったチャンス」だったことをより強く感じ、やり場のない怒りを自分に向けた。私があと1年早く物事を進めていたら、もっと良いことをしていたら、運がもっと良かったら。

論理的思考でないことは分かっているが、論理的に考えて解釈がつく問題ではなかった。

今は大学の学業中心にシフトして、自粛生活に柔軟に適応しているつもりだが、今でも、3月の一変から4カ月経とうとする今でも嘘だったかのように、むしろ何が幻だったのか、渡欧するのがウソだったのか、受け入れることができない。

これで行けなかったら、立ち直れるのだろうか?

 

「人生は長いのだから、たかが1年くらい」とか

「来年は行けるといいね」とか

「いつかできる」とか

「社会人になっても」とか

「自費留学で」とか

「半年でも」とか

「いつかはこれも笑って話せる思い出になる」とか

「そんな起きたことばかり嘆かず、今を全力で」とか

「自分ばかり被害者面するな」とか

「もっとつらい人はいる」とか

「命があるだけいいと思え」とか

「中止判断は良い判断」とか

 

どうぞ全て私の人生を最初から体験して、体感してから言ってください。

 

励ましの言葉もポジティブな言葉も私に向けたものは記憶を恐怖で苦痛の日々を蘇らせる要因でしかない。

私の心が弱いのかもしれない、私の能力が低いのかもしれない、

けど私には今しかなかった。

決して諦めてはいません。誰も責めたり、自分を不幸だと思ったり、未来の希望を捨てたわけではない。

だからこうして今も戦っている。ただ、忘れられないのです。それだけ真剣に向き合って、全力で欲しいと思って、恐怖に立ち向かって、何度も折れてやっと手にしたのだから、「本当だったら…」とタラレバを容易に想像してしまう。

私は、想像とは違った新たな環境でも動いています。ただ、決してこの悲しみは忘れられず、どうしたら良いのか分からない。

毎日泣いて、「よし!切り替えて頑張ろう!」と別の問題に向かう日々。もう7月になってしまった。

予定ではそろそろ語学学校のレッスンが終わり、企業訪問したり、家探しをしに行く頃だろう。

ヨーロッパでは爽やかな風と鋭い日差しの中、キラキラとした光が反射した木々が美しくなる季節だろう。

もしかしたら、同じ渡航先のパートナーとはもう何回か喧嘩してたのかな?一緒に協力してやっていけてるかな?

17人で励まし合って、新地で模索しながら、今までとは違う世界に出会ってたかな?

この17人でこの1年を挑戦したかった。何かの縁で同じ目的・夢を持って立ち向かった仲間とそれぞれの場所で経験し、達成し、もうすぐ企業研修始まるね!とか言いながら近況報告したり。どうしたら今年決行できるかを話し合うのではなく、、、

私には今現時点で来年の可能性が0というわけではない。去年のように100というわけでもない。

だからこそ、来年の可能性が0の人の分も身を削らなければいけない。

それができず、涙が止まらず、自分が嫌いになる。こんな自分が大嫌いだ。

よく、人は理由を何かと付けてやらないだけであると書いてあるものがあるが、私は理由を何かと付けてやってきた。

だから悔しい。

 

女性であって得をしたこともある。そして、損したこともある。

ディズニー映画「アラジン」を観て、ちょうどそのころ、この試練をいただいたばかりでまだエネルギーもあり、泣いた。

こんなことを言ったら、きっと神様はさらなる試練を与えるだけかもしれないが、Speachlessのシーンを借りるなら、

I can’t start to crumble 

Whenever they try 

To shut me or cut me down

 

I cannot start to crumble

So come on and try

Try to shut me and cut me down

 

辛い時も苦しみを抑えて、しおらしく涙を浮かべるだけで済むような

本物の芯の強いしなやかな女性になってやる。

男性とは同等には戦わない。それが正しいフェアな戦い方ではないから。

優遇もされるが、決して期待されず、時に敵対視され、僻みの対象になり、表に立ち矢を受けるのに利用され、それでもしたたかに凛となびかず、孤独にただ真っすぐに前だけを見る。これが4年間、1割の理系女子として生きてきて学んだ立ち位置だ。

男子間の緩衝材になり調和を作り、和ませ、影で必死にもがくも、表には笑顔のみ。

 

Written in stone
Every rule, every word

Centuries old and unbending

Stay in your place
Better seen and not heard

But now that story is ending

 

ただ、私だって黙ってない。傾斜理論を使って着実に強くなってやる。

 

Try to lock me in this cage

I won't just lay me down and die

I will take these broken wings

And waych me burn across the sky

And it echoes saying