小さな頃から『どんな職業につきたいか』といことよりも、


『どんな人間になりたいか』


というのが自分の中に強くあって、

社会人になった頃は


『器の大きな人間になりたい』


というのが自然に自分の中から湧きあがった目標だった


どういう人間になりたいか、

これはいい歳になった今も

常に追い求めていて、現在は


『頭の先から爪の先まで、心のキレイな人でありたい』がテーマ


中身が綺麗な人間でありたい

けがれのない人間でありたい


何かが起きた時、

時として、自分の中から何かが溢れ出す


溢れ出ようとする気持ち、

態度、

口からゲロゲロと出てしまいそうになる言葉、

目から溢れ出そうになる液体、


これらが、ハナから出ない体質になるには?

(この場合は鼻からの意味ではないよ、最初からの意味ね)


心底、美しい心になるには?


達観した魂と心が必要


あふれ出るパワーがあったから、

私という人間ができて、

パッションと共に生きてきたとも言える


岡本太郎さんの

『心の中に毒を持て』の言葉は

実際、私に肯定感をくれる


なぜいまこう感じているのか?

静かに向き合う時間、そして答えを出していく時間

大人になって、

少しずつ上手になってきたとは思う


だって最後は、私って幸せだなぁと

感謝の気持ちで満たされるようになったから


そして最悪だなと思うことが起きた時、

それは大抵、自分にとっての学びがあり、良いはずだと思えるから


自分に起きている感情に向き合い、ろ過しながら、

パッションは無くさずに、

心底きれいな人間になりたいのが今のわたし


(娘と観ていた『葬送のフリーレン」のアニメ最終話、これを書き留めた今の私には心に響くお話だった)

まるで人生のよう。

時折、太陽に雲がかかり、太陽に眩しいくらいのさっきまでの輝きはない。


しかし雲がかかったからこそ、
より丸く美しい本来の姿がハッキリと見える。


人生も時に雲がかかる時がある。
常に順調というわけではない。

太陽のように自分は腐らず変わらず、
自ら光を放つことさえ忘れなければそれでいい。


他人からの見え方ではなく、
自分の信じた大事な価値観。
自ら放つ光。


見方によって、見る場所によっては、闇に感じたとしても、
雲の上で、太陽自身は関係なくいつも晴れているのだ。


谷は決して嘆くものではない。

山頂に小川はないが、谷には小川やそこに水を飲みにくる動物たち、苔、草木、虫も集う。


谷こそ肥沃だ。


谷の時こそ、
雲がかかった太陽のように、
より輪郭がハッキリと
その人の本望の美しさをきっと見せてしまうものだ。



だから腐らず変わらず、らしく生きる。


じぶんが自分に◯を出せる生き方。

それでいい。











『学ぶ人は、変えてゆく人だ』



娘の本に挟まっていた、旺文社さんのシオリ。



好きなメッセージ。



ペタッ。冷蔵庫に貼った。