今日、ハワイのお友達とラインしていたら
自分の内側から、ハワイにいたときの自分の描写が出てきた





「もうちょっとでたどりつける

あとちょっとな気がする


・・でも全然じゃん!

どんだけ頑張っても苦しいよ?!

まわりはもう上がってるのに~!





で肺に穴があいた


結局自分に自信ないから
無意識に他人との比較に走っちゃってた




ハワイにいるとき、
なんであんなに
上がろう上がろうとしていたのか



なにか
遠い天からさす光をつかもうとして、
懸命にもがいていた





必要なプロセスだったけど、
疲れた。。。
もーいいーやー
のんびりしよってかんじです




今はあんま人とも会ってないし
自分の身体と親しかいないですね~




目の前のことだけ」






わたし、ほんとに
わたし以外の何者かになりたかった




上がる(アセンション?統合?愛に目覚めて生きる?神視点で生きる?)が「ゴール」で、ゴールを切って自分との戦いを終わらせたかったんだと思う




ゴールしたら、
私の中の戦いも葛藤も終わるし
もっと平和で
もっと愛に満ち溢れ
もっと満ち足りて
もっとポジティブで
もっと幸せ





なーんてね






理性的なマインドは


それはゴールじゃないよーん
統合もアセンションも一生続くんだよーん


って論理として理解していたけど、




やっぱさー
つらい現実から逃げたい自分は
憧れるよね




憧れの桃源郷、
別世界にいる何者かに








日本に帰ってきたら
そんなのがなくなった




まあ状況が状況だから、
身体と向き合って、
日常をこなすのに必死だったからねー




そんなアセンションとか
目指しとる暇もない。爆笑





そして親との向き合いが毎日の日課というか





まあまあ、今の行動のほとんどが
子どもの時に刻まれたパターンに
支配されてますわ




父が怒ったり怒鳴ったり
母とケンカすることに
強い抵抗があるから、
父が現れた瞬間に
その空気を読むクセ




父は私には優しい、
怒らないってわかっているから
私が仲介に入らねばという責任感




顔色なんかみなくても
全部空気読みとってる



動きも、思考も、全部パターン化されてる





実際に父が怒るような場面でなくても



「機嫌損ねたらどうしよう?」



って不安先取りしてること自体がパターン





でもそんな現実をやらせてもらえて、
ほんとーに幸せなんだよね




子どもの時にできなかったことを
今再体験するチャンスがもらえた




そして、
日常のささやかな出来事の中のひとつひとつ、目の前のひとつひとつに向き合うだけ






何者になる必要もない
ただ自分でいるだけ
しあわせ





散歩してると、キンモクセイの香りが時々漂う季節になりました