自分にとっての正義を
振りかざして
他人をジャッジすること




ってのを最近よく考えさせられます






まずこの感覚が出てきたのが



社会正義とか
社会ルールを守ること
公共の場で他者に配慮すること




ってところからでした







例えば
ハワイで運転しているとあるあるですが、
ウインカー出さずに車線変更する車はザラです



慣れてないうちはびっくりしたし
本当に危ないな~とも思いました




左折(日本でいう右折)と直進が同じレーンで、
信号が変わっても前の車が全然進まないな?
と思ったら
ウインカー出してないけど左折待ちで
ひたすら待ちぼうけチーン


早くウインカーさえ出してくれたら
別の直進レーンに入ったのにムキー
ということもしばしば





あとは
前方で車線減少するので
みんな長い列を作って待っているのに
減少する車線をダァ~と進んで
途中で割り込む車とか
(日本でもありますけどね)





なんて事に、
運転始めて数年は
いちいちイラついてました





他のドライバーへの配慮のなさ
自分しか見えてない感じ
に超イラついてたムキー





他の人がこのような場面に遭遇したとき
イライラしたり
腹が立ったりする人はいると思うけど、
「カチンとポイント」は
人それぞれ違うと思うんですね



なぜかっていうと
目の前で起こる事象ってのは
自分の心の内側を投影しているから






このときの私のカチンとポイントは



なんでこんなに周りが見えねぇんだよ!
なんで人のこと考えられねぇんだよ!
公共の場なんだから配慮しろよ!
危ないだろ!ムキームキームキー




ってところでした




で、その裏には



私はこんなに周りに配慮している
私はこんなに他者のことを考えている
私は安全運転を心がけている
という自負でした







でもあるとき、はっとなりました




何車線もある不慣れな道を走っていたとき
交差点直前で間違った車線に入っている
と気づき、
慌ててウインカーも出さずに
急に車線変更したんです





後ろの車に



「あっ、ごめんね~
初めての道だから許してニヤニヤテへ」



なんて思っている自分に気づいた










はっゲッソリハッハッ



今私がしたことは、
私がいつも非難している
行為ではないかゲローゲローゲロー


 



このときから、
他人の運転を他人の気持ちで
考えるようになりました






それでやっと気づいたんです




自分にとっての正義を
振りかざして
他人をジャッジしていたことに






自分の正義は
社会の正義、常識にそっているから
「正しくて」
ルールを守らない人が
「間違い」
とジャッジしていた





でも自分の正しさなんて
あくまで主観でしかなくて、
自分の都合悪いときは
「いつも守っているんだから、
たまにはルール守れなくても許してちょニヤニヤ
で終わり





他人から見たら
私の運転だって十分危険に
感じることだってあるでしょう






そう気づいた時から
運転でイライラすることが減りました




ウインカー出さなくても
あるあるだよねー
と気にならない




割り込みたそうな車は
潔く自分から入れてあげる




そうすると向こうも
ありがとーバイバイ
ってシャカサインとかしてくれるから
入れてあげてよかったな
と思える









そしてこーゆージャッジを日々
パートナーとか友達とか
職場の人とかに対しても
知らぬうちにやっちゃってるんだよね




自分の正義、
自分のモノサシを捨てて
他人をすべて受け入れ許す、
広い心を持って怒りを捨てる
ってことを無理やりやる必要はない
(怒りたければ思う存分怒ればいい。
感情を封じ込めていい人ぶる必要はない)





ただ
自分の正義やモノサシを緩め、



「このジャッジメント本当に必要?」
「本当に私が正しいのかな?」
「どちらが正しい、間違ってるに
こだわっている自分がいないかな?」
「ってゆーか、気にして問題として
あえて取り上げているのは私じゃない?」


と疑問を持ってみると
これまでとは違う他者の見え方、
他者への理解、
最終的に自分の正義やモノサシに
執着していた理由が顔を出し、
そして同じような事象が起きても
大して気にならなくなる自分が出てくる



そうすると
ほんとーに目の前の人間関係や
見える現実が変わってくるもんですね







Aloha&Mahalo
Mami