信頼する人、
腹の底から本音で話せていると思う人に

厳しいことを言われたとき
怒られたとき
指摘されたとき
教えられたとき




それは「愛」そのものと言える





テキトーな関係ならば
人はそこまで本気にならない






「わたしのことを本気で
思っていてくれるから、
あんな厳しいことを言ってくれたんだ」




相手を信じ、愛しているからこそ
その厳しさを受け入れようとする




そんな風に面と向かって
向き合ってくれる人って
この世に何人いるだろうか




そんな存在は
愛そのもの、感謝そのもの







でも
そこで

傷ついた自分を忘れないで





それが愛から発生した
怒りや指摘や厳しさだったとしても、
それを真っ向から言われた私は
傷つかなかったか?




プライドも自尊心も、
ズタボロにならなかったか?




ショックを受け
悲しくて、苦しくて、
怖くて、恥ずかしくて
もう自分なんてやめたい、
消えてしまいたいと思わなかったか?




時か経ち
それらの傷の存在を
忘れていないか?




この傷を癒やしてあげないと
信頼し、愛し、感謝していたはずの相手すら
また自分を傷つけるのではないかと怖くなり
相手の前で言葉を選んだり
身体にもハートにも力が入ってしまう





そしてまた、
いつもの繰り返しをするの







「この人は私の本当の味方ではなかった」






そうやって
砂漠の民のように
自分の心を潤してくれる
別の愛のオアシスを探し求めて
彷徨うことになる






私の愛を満たしてくれる人は
どこにいるんだろう・・・








でも、あなたが、
自分の傷を癒やしさえすれば
今いる場所、そして目の前にいる人が
オアシスになるんだよ