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【2020日立鉱山遺跡探訪】 旧本山トンネル(木ノ根坂トンネル)

 
旧本山トンネルは現在の本山トンネルの上にあり、平成元年の新トンネルの完成にともない旧トンネルは役目を終え封鎖された。 
 
ちなみに旧本山トンネルは正式名称「木ノ根坂トンネル」で、「鉱山と市民 1988年3月31日発刊」には木ノ根坂トンネルと記載されている。
 
本山トンネル西側の駐車場に車をとめて、高鈴山ハイキングコースを上ったところにある。
 

地図↓↓

 
本山トンネル西側の駐車場から高鈴山ハイキングコースになっている旧道を上っていく。


 
 

 
 
前回訪問したのは2008年。
 
今回は約12年ぶりの訪問。
 
この間で本山旧トンネルはどう変貌したか。
 
ちょっと2008年の写真と比べてみよう。
 
<2008年4月25日> 
 
<2020年4月17日>
 
 
 
<2008年4月25日>
 
↓↓
2020年4月17日


特に目立って大きな変化はないものの、上の写真を比べて分かるが、2008年に来たときは道路のアスファルトだったところは、現在2020年は土砂や枯葉で埋まってぬかるんでいた。ぬるっとしていてかなり滑る。こけそうになった(;´∀`)
 
ここも徐々に自然に還っていくのだろうか
 
 
昔の旧本山トンネル(木ノ根坂トンネル)はこんな感じ!
昭和34年ごろの某映画のワンシーン
 
 
 
 
 
場所は不明だが、このへんにあったと思われる「木の根坂」バス停。
 
だいぶ道幅が狭い。
 
 
 
 

旧本山トンネル(木ノ根坂トンネル)と,木ノ根坂について

 木ノ根坂は高鈴山と神峰山とを結ぶ稜線の鞍部(あんぶ)であり、くぼ地になっているところから、昔から交通路として利用されてきた。

 しかし、交通機関の近代化に伴って、峠を貫通するトンネルの必要性にせまられた。木ノ根坂トンネルは第二次大戦末期に、軍用道路として工事が進められ、終戦直後に長さ約80mを貫通させて完成をみた。

 この木ノ根坂を南北に結ぶ稜線は、1955(昭和30)年に、日立市と中里村とが合併するまでは、両市村境の役目をしていた

「鉱山と市民 1988年3月31日出版」

 
 

 
 
これも日立鉱山の残した遺物なのか、古いレトロなジュースの缶のごみ
 
 
 
ダイドー mコーヒー、1980年ころのものらしい。
 
今から約40年前。
 
40年前?!まじか!!
 
ちなみに自分はまだ生きていない。
 
 
 
 
 
こちらは、昔の紅茶花伝。
 
調べたら1993年に発売したものらしい。
 
約27年前
 
 
 
 
 
これは初代マックスコーヒー。
 
プルタブ式という飲み口の蓋を切り離すタイプ。
 
kのデザインは1975年発売のものらしい。
 
 

 
日立鉱山跡はこれまでにもけっこう探索してまわったけど、とても広大でまだまだ未知なる部分が多い。
 
そういえば本山キャンプ場が閉鎖してしまったけど、どうなってるだろう。
 
戦争経験者同様に、日立鉱山の出身者が年々減っていて語る人がいなくなって歴史的に風化しつつあり忘れ去られつつある日立鉱山だが、昔の鉱山はなかなか興味あるので全容解明に向けて日立鉱山跡を調査したり探索に行きたいと思う( ̄▽ ̄)ノ