だいぶ遅くなってしまいましたが、、、

 

2月2日、茨城県南の阿見町へロックバンドみならいモンスターのライブ見に行ったついでに、霞ヶ浦海軍航空隊の戦争遺跡を見に行ってきたヾ( ̄∇ ̄=ノ

 

 

(過去記事については以下↓)


【過去記事】

みならいモンスターライブレポート ~令和2年2月2日の奇跡 プレミアムフリーライブ~

https://ameblo.jp/maxspeed10000km/entry-12572716876.html

 


 

 

阿見町といえば霞ケ浦海軍航空隊!

 

阿見町は東洋一を目指して作られた海軍飛行場があった場所で、町のそこら中や路上に普通に戦争遺跡がある。戦争遺跡の宝庫である。阿見町の戦争遺跡はなかなか興味深く探検し甲斐がある。

 

霞ケ浦海軍航空隊の歴史については古く大正6年ごろ、海軍が航空機の操縦要員を養成するた飛行場建設を計画した事に始まる。

 

大正9年3月、阿見村の原野は海軍省によって買収され完了し本格的に飛行場建設が始まった。

 

大正10年6月、工事がおおむね一段落し、阿見原に「臨時海軍航空技術講習部」が発足。飛行機の操縦訓練が開始された。

 

大正11年11月1日、「霞ケ浦海軍航空隊」が搭乗員の飛行教育を行う練習航空隊として発足。

 

大正13年には茨城県下で初めて舗装された海軍道路が完成。

 

 


 

「総合衣料さとう」の駐車場の一角には、霞ケ浦海軍航空隊の境界標識が現在も残っている。ここの通りは海軍道路といわれ、県下初の石灰石で固めた舗装道路だった。

 

 

 

 

 

「海軍用地」と文字がかなりハッキリと残っている。

 

飛行場が建設された大正時代のものだろうか??

 

 

【地図】

 

 

 


 

 

もうひとつの境界標識が常陽銀行阿見支店の道路挟んで反対側にも残っている。

 

 

 

 

 

こちらの海軍境界標識は風化が激しく、文字が完全に潰れていて読む事はできなかった。

 

地元の阿見町市民ですら海軍標識との認識があるか微妙である。

 

しらない人が見たら、ただの石ころか、墓石だとおもうんじゃないか。

 

これも立派な戦争遺跡。

 

こうして大正時代の遺構が残っているというのは奇跡。阿見町は歴史的戦争遺跡の保存に理解があるようだ。道路拡張工事で撤去される事がおおいけど。

 

 

 

 

 

【場所】

茨城県稲敷郡阿見町岡崎3丁目15−13 付近

 

 

 

【グーグルマップ】↓↓

 

 

 

 

というわけで、戦争遺跡が普通にそこら中にころがってる阿見町なかなか面白い。

 

また、みならいモンスターのライブがあったら、またついでに阿見町の戦争遺跡を見に行ってみようと思う(笑)