【ひたちなか市】 高野疎水隧道


 以前から気になっていたひたちなかの隧道を見に行ってきた。

 場所はひたちなか市高野ののどかな郊外。

 隧道の上を常磐線が通っている。

 ここに明治時代に掘られた隧道がひっそりと存在している。
 


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高野疎水隧道 西側


 まずは、隧道の西側を。


 隧道の東側はコンクリートで近代化改修されていて、明治の面影はあまり感じられない・・・・( ̄ー ̄U

 まず目にかかるのは、期待外れな感じが否めない、コンクリートでガチガチに補強された無機質なトンネル。





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   表示板には「高野疎水隧道 126k 775m」との書いてあるが、始点の東京からの距離を意味しているのだろう   ↓ ↓
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 隧道内部は照明が無く、薄暗くちょっと不気味な印象。

 夜は真っ暗で怖いだろうね~。

 しかし、地元中学生は何のためらいなく入っていく。

 地元つええ。。。

 もう慣れているのでしょうね。

 地元の人の往来がけっこうあり、生活道路ならぬ、生活隧道として使用しているようだ。



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高野疎水隧道 東側



「なんだこりゃあ、期待外れじゃないか~~。」


いや実は、この隧道の見どころは、西側ではなく東側だったのである。


東側に来てようやく理解する。




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東側は、竣工当初のレンガがそのまま残っており、明治時代の面影を色濃く残している。

すばらしぃぃー!!

この色合いといい、ちょっと朽ちた質感。

やはり本物のアンティークは違う! ロマンを感じる!

まるでタイムスリップしたかのよう。


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壁には約47年前に掘られた落書が!


半世紀前の落書きがそのまま残ってるってのもすごい(笑)




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 この隧道についての歴史的な由来だが、史料「茨城の近代化遺産」から抜粋する

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 日本鉄道は明治30年(1897)2月、水戸~平間を岩城線として開業する。その後常磐線は一幹線として複線化や電化が進められ、開通当時の線路施設のほとんどは修理が施されている。その中に遺構として残っているものに、高野疎水隧道と、宮田川水抜きアーチ橋がある。いずれも完成年度が1897年とあり、上記開業年度と一致している。 ともに煉瓦造りのアーチ橋トンネルで複線化に際して延長されたり、高野疎水隧道は内部を補強した様子は伺えるが、当時の姿をよく残していると言える。                
( 「茨城の近代化遺産」から抜粋 )




しかし、隧道内のコンクリート近代化改修を全部やらずに、あえてこの部分だけ改修せず残したのはJRのご厚意によるものだろうか??

是非、明治のレンガ部分はこのまま残してほしいと思う。

高野疎水隧道の場所についてですが、・・・・

落書きされそうだからとりあえず内緒にしておきましょう( ̄ー ̄U トンネルはヤンキーの格好の餌食になりますからね。

まあ、興味がある方はヒントが既に出ているので探してみてください。




【ひたちなか市武田】 常磐線ガード下の赤レンガ土台


 ひたちなか市武田の常磐線のガード下にも、レンガの土台が残っていた。こちらも明治期のものかもしれない。JR水郡線のガード下にもレンガ土台があったが、近代化改修でコンクリートで固められ面影はなくなっていた。


JR常磐線ガード下のレンガ土台 ↓↓
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