指揮所(号令台) |
中野忠次郎は指揮所(号令代)の前に整列した隊員に向かって「筑波隊」の命名を告げた。数日前に神風特別攻撃隊の名簿が発表されたばかりであったが、「筑波隊」と命名したのである。しかし、司令中野忠二郎大佐、飛行長横山保少佐は特攻作戦に反対の意思表示をしていたといわれる。
その指揮所は現在も残っている。
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基地フェンス跡 |
散策していたら当時のフェンスの跡と思われる物を発見!当時の古写真にもあったコンクリート製基地フェンスの支柱で、これも立派な遺構です。そう考えると正門にあった石造りの正門も当時からの物なのかも知れません。

コンクリートの板をおさえている以下の支柱です。

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滑走路跡 |
筑波海軍航空隊の滑走路は、現在も道路として残っている。並行ではなく三角の形をした滑走路だったそうだが、離着陸でぶつかりそうな気もするが・・・。
当時の滑走路は芝張り(芝生)だったが、デコボコができて、車輪がとられたり脚を傷つけて機体を破損する事があった。また、訓練中不慮の事故で殉職した隊員もいた。 中野忠二郎司令は、舗装した滑走路を筑波空の自力で作ることにした。各方面から資材を集め、昭和19年9月中旬から11月中旬にかけて工事を進め、三角形の滑走路を完成させた。
滑走路だったところは、現在は道路として残っている ↓↓


<滑走路の位置>
三角形の変形した滑走路。
同時に離着陸したら衝突しそうで危ないのではないかと思うが・・・。どのように離着陸したのかまでは不明。
三角形の変形した滑走路。
同時に離着陸したら衝突しそうで危ないのではないかと思うが・・・。どのように離着陸したのかまでは不明。
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筑波海軍航空隊の火の見やぐら |
笠間市古大山地区に、筑波海軍航空隊から払い下げた火の見やぐらがあるらしいが、付近を探索するもそれらしい物は見つからず。現在は既に無いのかもしれない。
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1000m道路(別名:海軍道路) |
昭和9年3月5日、友部駅から航空隊に至る基幹道路と資材輸送のトロッコレールは、海軍省が施工し、航空隊から橋爪まで1000m道路(海軍道路)は町が請負うことになり地元の有志によって宍戸駅から基地までの道路が建設された。
地元の有志により作られた、1000m道路(海軍道路)の新設記念碑 ↓↓


<地図>


筑波海軍航空隊 実弾射撃テスト場 |
北関東自動車道友部ICのすぐ近くに、ゼロ戦の実弾テスト場がある。これは筑波海軍航空隊記念館の案内にも無かったので知らない人が多いかもしれない。
実弾テスト場は長方形の形で、ゼロ戦の固定武装の照準を合わせるためのテストをしていたらしい。しかし、基地から離れているこの場所までどうやってゼロ戦を運んだのか??
現在は個人所有の畑と家が建っているのみで、特に見に行く程でもないが、一応こういう場所があったという事で載せておく。
実弾射撃テスト場は、航空隊の西方3.5キロメートルほど離れた星山地区の原野に設置されました。県道稲田友部線から南へ230メートル入った洞沼川沿いの低地です。 射撃テスト場の規模は、南北325メートル、東西115メートルほどで、東側は土塁が築かれ、西側は涸沼川です。 射撃位置は南側で、北に向かって280メートルと180メートルの標的になっていました。標的の後部は壕でその奥は砂地、さらに山林でした。壕の西側は石垣でした。北側の山地から湧き水があり、良い飲料 水となっていました。射撃位置に零戟を置き、そこから射線整合のためのテスト射撃をしていました。ここは現在、県企業局の涸沼川取水場になっています。射撃場の東部の山林には防空壕が掘られていました。 射撃テスト場は、戦後、星山開拓に開放され、現在、細田保夫氏の宅地及び農地、取水場になっています。 (筑波海軍航空隊 ―青春の証― から)
<実弾射撃テスト場全景>
現在は個人所有の畑となっています。
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現在は個人所有の畑となっています。
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地下戦闘指揮所 |
数多くある筑波海軍航空隊の遺跡の中でも、最も興味をひかれたのが地下戦闘指揮所である。
公開前と、一般公開のそれぞれ見に行って来たがなかなか面白かった。
内部は少しヒンヤリ。小部屋がいくつもあり探検している気分。足の長いカマドウマというバッタが天井に沢山いたのは少しひいたが・・。
茨城にもこういう遺跡が残っているのだとは意外だった。こういう遺跡は残した方がいい。
昭和20年になりますと米軍の空襲が激しくなり、かなりの被害が出るようになりました。航空隊では、非常に備えて急拠、地下戦闘指揮所を建造しました。 戦闘指揮所は、司令部の南1キロメートルほどの旭町・矢野下境の山林にあり、コンクリートのがっちりした建造物で、20年2月に完成しました。 この指揮所は、地下2メートルほど掘り下げて、東側に通路と5室、通路をはさんで西側に通信設備と思われる装置の1室があります。各室にはケーブル孔が備えてあります。南北に4カ所の出入口がつくられています。建造物の上には土が盛ってあり、樹木でかくしてあります。地表の高さは4メートルほどです。この地下戦闘指揮所は、現在もほぼ原形をとどめて 残っています
これは一般公開前の2013年に撮影したものです。コンクリートの建物を土でかぶせてあるので小高い丘のようになって見える。辺りは鬱蒼としていて、これでは絶対に上空からは分からない。
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出入り口はそれぞれ4カ所あり、公開前はベニヤ板で塞がれていました。
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地下司令部の上部にはケーブル孔と換気口がそれぞれ地下の各室につながっている。
これはケーブル孔だろうか?? ↓↓


これは換気口?? ↓↓


その後、地下戦闘指揮所が一般公開され見に行ってきた。
入場料は500円。入口でヘルメットと懐中ライトを借りるが、自分は自前のLEDライト「スーパーファイヤx SF705」という明るいライトを持って行った。100m先を照らせる「メガファイヤ」もあったが明るすぎるのでやめておいた。
入口 ↓↓


通路↓↓


部屋 ↓↓



通信指令室には、通信機材を固定したと思われるアンカーの跡が残っている。↓↓


→動画の再生ページ←
という事で、今回は筑波海軍航空隊の戦争遺跡を見て回ったが、山の中に地下司令部があったり、何の変哲もない道路が滑走路跡だったりと身近に戦争遺跡があるものだと思った。
つい最近までマイナーだった筑波海軍航空隊が世間に知れ渡ったのは「筑波海軍航空隊プロジェクト」のおかげであります。ベニヤで塞がれた地下司令部も入る事はできなかったでしょう。
つい最近までマイナーだった筑波海軍航空隊が世間に知れ渡ったのは「筑波海軍航空隊プロジェクト」のおかげであります。ベニヤで塞がれた地下司令部も入る事はできなかったでしょう。
残念ながら、筑波海軍航空隊の司令部庁舎は解体間近だそうなので、取り壊す前にこれは是非みなさんにも見て欲しいと思います。
戦闘地下指令所も土日祝日に限定公開をしているので、是非見に行って楽しく探検してみてください。