今日は、領土問題なんてまじめな記事を書くことのない自分が(笑)、中国との領有権で争う尖閣諸島領土問題について記事を書いてみようと思う。
 
 あれほど激しかった中国国内で起きた反日デモは突然姿を消し、皆普通の生活に戻りつつある。事態は収束したかのように見えた。しかし安心するのはまだ早い。
 尖閣諸島周辺では今日も緊迫した状態がつづいており。既に周知の通り、海上保安庁と中国監視船とのにらみ合いが続いている。しかも中国は、海軍のフリゲート艦2隻を尖閣諸島に展開してきた。このフリゲート艦はミサイルや魚雷を積んだれっきとした戦艦である。
 こんな緊迫した事態が起きているのに、テレビはあまり流してくれないし、国民の多くも尖閣諸島には関心が薄い人が多いというのが実情のようである。それは仕方ない、尖閣問題はあまりテレビにも取り上げないし、知る機会も無い。
 尖閣諸島が日本なものであるのは紛れも無い事実。しかし中国も自国の領土だと主張して強硬な態度で日本に攻め寄ってくる。中国が尖閣諸島の領有権を主張するのにはある思惑がある。ずばり日本侵略だ。
 そんな馬鹿なと思うだろうが、中国は着々と日本侵略の準備を整えている。 でも、わが日本人の多くは中国が攻めてくるなどという話を信じるはずもなく、話をしても相手にされないし、危機感がまったく感じられない。
 もちろん、自分自身は中国に何も恨みは無い。中国が日本を侵略するなんていう事を言いたくはなかったが仕方ない。実際に今、及び今後、日本が中国によって脅かされようとしているのだから。
 
 そこで、平和ボケしたみんなに目を覚ましてもらうべく、尖閣諸島及び、中国の思惑について自分なりに調べてまとめてみたので是非ご覧いただければと思う。



 


尖閣諸島の位置


 日本はどういう形か質問するとと大多数の人は「弓の形」と答えるだろうが、それは大きな間違いである。経済排他的水域を含む形がほんとうの日本の形である。この形を認識してほしい。

 尖閣諸島は沖縄本島の西、石垣島の北に位置している大小の島々で、魚釣島、久場島、南小島、北小島、大正島の5つの島と沖の北岩、沖の南岩、飛瀬の岩礁からなる諸島である。



ほんとの日本のカタチ↓↓
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尖閣諸島↓↓
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尖閣諸島の歴史


明治18年(1885)
福岡県出身の実業家である古賀辰四郎が尖閣諸島の調査を開始。島が無人島で無主である事などを確認した。

明治28年(1895)
日本政府が尖閣諸島の領土編入を閣議決定する。

明治29年(1896)
古賀辰四郎が政府より、魚釣島・久場島・北小島・南小島の30年間の無償供与を受け、魚釣島にカツオブシ工場を建設するなど、開拓に着手する。

明治37年(1904)
日露戦争の特需で、防寒用衣類の原料となる海鳥の羽毛採取が盛んとなる。最盛期には魚釣島に99戸、248人が生活していた。

大正7年(1918)
古賀辰四郎が死去。息子の善次が事業を引き継ぐ

大正8年(1919)
魚釣島に中国漁船が漂流、乗員を島民が救出する。翌年、中華民国長崎領事より感謝状が贈られその感謝状には「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島」と記していた。

昭和7年(1932)
日本政府が、魚釣島・久場島・北小島・南小島の4島を古賀善次に有償で払い下げる。

昭和15年(1940)
戦況の悪化により、尖閣諸島から住民が撤退。

昭和21年(1946)
GHQが尖閣諸島を含む南西諸島の施政権を連合国へ移す。

昭和26年(1951年)
サンフランシスコ平和条約に調印、尖閣諸島は米国の施政下へ。

昭和33年(1958)
高等弁務官布令20号に基づき米軍が久場島を軍用地に指定。古賀善次と米軍との間に年間1万1104ドルで借地料契約が結ばれる。

昭和43年(1968)
国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が東シナ海の海底を調査。翌年、埋蔵量の豊富な油田がある可能性が高いことを発表。

昭和44年(1969)
石垣市が、魚釣島・久場島・大正島・北小島・南小島の5島に標識を設置。

昭和46年(1971)
沖縄返還条約締結。翌年、沖縄諸島とともに尖閣諸島も施政権が日本に返還される。
なおこの年の12月、中国が外務省声明において初めて尖閣諸島の領有権を主張したとされる。台湾は同年4月に公式に領有権を主張した。

昭和47年(1972)
日中国交正常化。古賀善次が埼玉県の実業家に北島・南小島を譲渡。

昭和53年(1878)
古賀善次死去。妻が魚釣島を埼玉県の実業家に譲渡。日本青年社が魚釣島に灯台を設置。

平成9年(1997)
新進党議員の西村眞悟が国会議員として初めて魚釣島に上陸。

平成17年(2005年)
日本青年社が建設した魚釣島灯台の所有権が日本政府に移譲される。以降、海上保安庁が管理。

平成22年(2010)
中国漁船衝突事件が起こる。尖閣諸島沖久場島付近で中国船が海上保安庁の巡視船に意図的に衝突。

平成24年(2012)
8月15日、中国香港活動家上陸事件が起こる。同年9月、土地の所有者から買取り尖閣諸島が国有化される。
また同年8月頃から'琉球(沖縄を含む)の領有権を主張しはじめる。「沖縄は我々の領土だ。ただちに返還せよ」や、「不法占拠」などという声明を出し、中国では徐々に沖縄は中国のものという認識が広まりつつあり懸念すべき事項である。(尖閣諸島、宮古島、石垣島、沖縄含む周辺一帯は中国軍の目標とするエリアで、「第一列島線」といわれている。将来軍備を拡張し侵略してくるとみられている)





日本の尖閣諸島領有を中国は認めていた


1919年(大正8)年冬、中国漁船が尖閣諸島沖で遭難し魚釣島に漂着した。この時中華民国が中国漁民を救護した住民に贈った「感謝状」がある。
 外務省外交資料館所蔵資料では感謝状は7通送られたとあるが、現存するものは市立八重山博物館所蔵の1通のみで、感謝状は第2代石垣村長の豊川善佐(とよかわ・ぜんさ、1863~1937年)に贈られたもの。

 その感謝状には「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島」と記されている。当の中国はみずから尖閣諸島を沖縄県と認識していたのだ。
 この感謝状は、尖閣諸島を日本領であることを証明する、決定的な資料である。


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尖閣諸島を実効支配しようとする中国。その狙いは?


 中国の狙いはズバリ日中中間線や尖閣周辺の海底に眠る豊富な海底資源・水産資源とシーレーンの確保だ。

 中国は、日中中間線での海底ガス田採掘設備を独断で建設している。日中中間線にある平湖・春暁ガス田などでは、海底の埋蔵資源が日本側の領域につながっている可能性が高い。資源が複数国に跨る場合、国際認識では埋蔵割合に応じて関係国間で配分することになると思うが、中国は独断で採掘施設を建設し更に、日中中間線を越えて日本の一般船舶の航行を禁止するという通告をしてくる身勝手ぶり。

 尖閣諸島周辺を含む東シナ海一帯には豊富なガス・石油資源が存在しており、その埋蔵量は原油1000億バレル以上。1000億バレル=640兆円、国民ひとりあたりに換算すると500万円ともいわれいる。しかしその豊富な資源は中国に盗掘されているというのが実情。


日中中間線で独断で採掘する中国。その海底資源は日本側にまたがっている↓↓
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海洋進出をもくろむ中国


 中国のもうひとつの狙いはシーレン確保、「海洋進出」だ。中国は太平洋に出るための航路を模索している。中国が自由に太平洋に出るには日本列島そのものが「フタ」になっており、中国にとってジャマな存在なのである。そこで、尖閣諸島や南西諸島を中国自国の領土としてしまえばそれが可能になってくる。

これは日本の領海とEEZ(排他的経済水域)合わせた領土範囲だ。中国、ロシア、北朝鮮、韓国が自由に太平洋へ出るには日本がジャマな存在である事がわかる。
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尖閣諸島攻略は作戦全体の一部にすぎない。次に狙われるのは南西諸島、琉球諸島、強いては沖縄本島


 沖縄に中国が攻めてくるなんて誰も想像がつかないだろう。がしかし、最近になって、中国は沖縄の領有を主張しはじめた。「沖縄はもともと我々の領土だ。日本はただちに返還せよ」と言ってきているのだ。こんなふざけた話はないだろう。こんなの許せますかみなさん?? 沖縄はみんなも行った事があるかも知れないが、もちろん日本の領土であるのは紛れもない事実だ。

 幸いにも、沖縄本島は強力な在日米軍が配置してあるので今すぐどうという事はない。しかし仮に、沖縄から米軍が退いたならば、中国が絶好のチャンスと思い、いつか軍備を増強して必ず侵略してくるだろう。その時のために備えなくてはいけない。

 平和的に解決するのはもっともだが、しかし中国という国は特殊な国で、話し合いをしたところで何も解決できない。既に指摘されている通り政府の弱腰の対応が侵略を許している。「きたらやっちまうぞ」というような強い姿勢がないと日本は守れない。残念ながら現在の日本はそれができず侵略を許しているところなのだ。将来、沖縄が中国に乗っ取られるかもしれない。「日本は沖縄から出て行け!沖縄を返せ」という反日デモが起きるかも分からない。そういう危機感を常に持つのが重要だ。
 もちろん平和的に解決するのがもっともだが、もっと強い姿勢で!そして、みんなにもこの事や国防にもっと関心を持ってほしい。