宮城県の津波被災地 松島・女川・石巻・南三陸町の視察


 ガレキ受け入れ反対騒動の様子がたびたび報道されている。一時は原発避難民の児童が転校先の学校で「放射能がうつる!」とか言われてさけられたり、福島県民の原発避難民において宿泊を拒否されるなど心無い仕打ちを受けたり、茨城に関しても農作物の風評被害など、被災県が受けた風評被害をはじめとする2次的被害は語ればキリがない。
 みんな知らないだろうが、最近では『福島県の避難民は仕事しないで義捐金を使ってパチンコばかりやっている』という根拠のない悪評が流れている。これを福島県民が聞いたら何を思うだろうか。この世には多くの情報があふれている。正しい情報も根拠のないデマや噂なども混在している。

 そのような風評被害とが相まってなのか東北被災県のガレキ処理は進まない状況のようですが、茨城県では宮城県石巻市の震災ガレキ及び東北被災県のがれき受け入れを行う方針で、もうまもなく、8月下旬から宮城県石巻市のガレキ受け入れが開始されます。

 茨城県は東日本大震災では約2万7千棟の住宅が全半壊したり、車が津波で水没するなど多く被害があった被災県でありますが、同じ被災地として支援していこうという精神です。それが人の人たる道であります(`・ω・´)





 昨年の震災時には多くのチャンネルで連日のように報道されていましたが1年以上経過した今日ではめっきり報道が減りましたが、茨城県のがれき受け入れの事もあり宮城県石巻市とその周辺の被害状況やガレキの状況など現在の様子を伺い知るべく実際に見に行ってみる事にしました!!(`・ω・´) ちなみに日帰りで行ったのですが、まあ、日帰りの行動半径はせいぜい300kmまでですね。さすがにけっこう辛かったですね(笑)

 


今回のルート


 今回の南三陸町までの片道のルートです。常磐自動車道那珂ICから三陸自動車道松島海岸ICまでをGPSログで記録してみました。

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宮城県石巻市



山積みになった震災ゴミ
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石巻市立吉浜小学校
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石巻市立雄勝中学校
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市営雄勝住宅
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石巻市立雄勝病院
入院患者40名全員死亡。医師・看護師全員24名死亡。生存者は裏山へ避難した事務員6名のみ。まるで軍艦島の廃墟みたいな、遺跡みたいになってしまった。

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宮城県南三陸町



車は宮城県松島から海岸沿いに女川町、石巻市、南三陸町へと。

到着してまず思ったのがとにかく何も無くて、とても静かで、あちこちから草花が生えている。自然そのものの風景で、ほんとにここに町があったなんて信じられない。

そして、遮る人工物が無く視界がひらけた所に広大な草原が広がり、かつて町だった場所は人がほとんどおらず静まりかえり、遠く海鳥の鳴きく声が響いていた。

至るところに水たまりや湿地帯があり、海鳥や野鳥たちが戯れていた。

そこは、かつて住宅のあった場所のようだが、皮肉にも綺麗な自然の花が咲いている。

その光景は例えるならば、スタジオジブリ「もののけ姫」の最後の自然へと還るワンシーンのようだった。

そして、ガレキの高さがけた違い、ビルの4階程の高さにまで積み上げられた多くのガレキ。 





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南三陸町防災対策庁舎
テレビなので既に存知のとおり、南三陸町危機管理課職員の「遠藤未希」さんは津波が迫り来る最期まで、無線放送を続けた。音声が切れる最後のほうは声が震えていたと言う。遠藤未希さんはさぞや正義感の強い人物であったか、恐怖に立ち向かい自分の命と引き換えにその任務を全うしたのであります。
その勇気ある行動に感銘を受け、以前から訪問したいと考えていましたが、ようやく今回願いが叶い英霊を弔うべく黙祷を捧げて参りました。

英霊遠藤未希さんよ安らかに。。。。( ̄人 ̄)



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 という事で以上見ての通り、被災地東北のガレキは山積みされ思うように進んでいないというのが現実のようです。南三陸町にあっては3階、4階部分の高さにまで積み上げられたガレキの山がいくつもあります。
間もなく宮城県石巻市及び東北被災県のガレキ搬入が始まると思いますが、それらは安全です。
茨城県内にはガレキ受け入れ反対過激派はいないと思いますが、ガレキ受け入れに理解を持ち、かつて戦後復興にあったような失いかけた日本人らしい助け合いの精神を持ち、お互いに頑張っていきましょう( ̄▽ ̄)ノ