
TBSのテレビ時代劇『水戸黄門』が放送終了しました。
今思えば水戸黄門は時をさかのぼること昭和44年に放送がスタートし、最終回までの放送回数はなんと1227回!!これは時代劇では最長の記録になります。これだけ長く続いたのはとても凄い事だと思います。
しかし近年では視聴率が低迷し、79年の最高視聴率が47.3%という記録に対して09年8月17日放送分では9.1%と初の1ケタに。皮肉なことに午後4時台の再放送は絶好調で、09年4月にはTBSが放送した全番組中昔の『水戸黄門』の再放送の視聴率が7.2%で全日平均視聴率トップだったという現象が発生していたそうです。これは、再放送も新作も視聴率がさほど変わらないという事のようです。
この視聴率低迷の事に関しては、由美かおるの入浴シーンがなくなったから等様々な説がありますが、なにはともあれ、地元水戸人としては水戸黄門の放送終了は残念で仕方ありません。
既に存知の通り「水戸黄門」は全国を旅などはしておらず架空のフィクションです。その全国を旅するという事実とそぐわないと大幅にかけ離れた壮大なストーリーは敬遠されがちですが、しかし時代劇「水戸黄門」と実際の光圀との共通する部分も少なからずあるのです。
実像の水戸光圀公は若い頃は自分が隠し子であったことからグレテしまい町で刀を振り回す不良でありました。何度諌められても聞く耳を持たない光圀公でしたが、18歳の時に中国の歴史書「史記」の白夷伝を読み、兄弟が互いに相続を譲り合い国を出るという故事に深く感銘し、以後はこれまでの過ち・態度を改めたといいます。
水戸光圀の精神のうちひとつに「質素倹約」というものがあります。光圀公の質素倹約について語ると、隠居所である西山荘は深山幽谷の佇まいでありながら御三家大名のご隠居住まいとはとても思えないような質素のつくりであったそうです。日々の生活に必要な道具以外は一切持ち込まず、毎日の食事も1汁3菜。淡白なものを好まれたそうです。衣類も紬が多く、外出の時にかぶる茶の頭巾も、既に30年以前から使われたもので、それから亡くなるまでの10年間の合わせて40年間もの間、大事に使われたそうです。そう、時代劇「水戸黄門」で黄門様がかぶっている頭巾がそれです。
「梅里先生碑文」から一部
その人と為りや。物に滞らず、事に著せず。聲色飲食、其の美を好まず。第宅器物、其の器を要せず。有れば即ち有るに従って樂胥し、無ければ無きに任せて晏如たり。
~意味~
梅里先生、即ち光圀公の人物性格は、物事にいつまでもこだわったり、執着しません。美しい女性に巡りあいたいとか美味しいものを食べたいとかそういうことは望みません。また、建物や道具類にしても珍奇なもの高価なものが必ずは欲しいと思いません、そうしたものがあればそれで楽しみ満足することが出来ますし、無ければ無いで別に不平不満も持ちません。
そして、光圀公の『徳』ついて。
時代劇水戸黄門では、黄門様は何かと説教くさく(笑)いつも何かと熱く語っているシーンがありますが、これにはちゃんとした意味があり、光圀公の徳の高さや向上心が表われているのです。
光圀公は人としてどうあるべきとか「徳」についてを様々な書物などに残して熱く語っておられます。そのうち光圀公の『人の人たる道を学ぶ』について。。。。
学問をば、多くハ人の好まざる事に候えば、人の人たる道を少しも知せ度おもふがゆへに学問の義、世話にする也。 |
学問をすることは、多くの人は好まないものである。しかし学問というのは、「人の人たる道」、即ち、他の動物とは違う「人としての正しい道」を知ることであって、物知りになる事ではない。学問をしなければ、正しい人の道を知ることはできない。だから私は、学文(学問)の大切さを人々に知らせたいと思い、その為に力を尽くしているのだ。
ただ人は人たるゆえんを知りて、人の道をつくすといふのが大切じゃ。皆も学問なりとして、忠孝をはげめ。――唯学問をして、道も知らぬは人の本意ではない。 |
人は、「人の人たるゆえん」、即ち、人間以外の、他の動物との違いをよく理解し、他の動物にはない人の道、道徳というものを実践することが大切ですぞ。若い皆も学問を修め、忠孝を励みなさい。とにかく唯一筋に学問に努めなさい。人の道、道徳を知らないというのは、人としての真のありかた、生き方ではありません。
以上2つの言葉は説教くさいようにも見えますが、しかし光圀公の生き様であり徳の高さが表われております。
近年『水戸黄門』については、掲示板やバラエティー番組などで、諸国漫遊をしていないだとか印籠を見せただけてひれ伏すとかそのフィクション性が論点の中心になってます。
が、地元水戸人から言うとそんなのは当たり前で諸国漫遊やストーリー性が重要なのではなくて、人としてどうあるべきかなど「徳」についてを光圀公は『水戸黄門』という媒体を通じて、モラルの低下しつつある現代人に伝えようとしているのです。諸国漫遊がどうとかを真面目に討論しているところなんかみちゃうと思わず苦笑い(笑) もはや空想科学という分野の次元ですね。ネタとしては大いに面白いけど、そういう事が言いたいんじゃない、もっと重要なものがある。
まあ、しかし「水戸黄門は」もう終了してしまいますが、光圀死後、光圀を慕う人らによってその光圀の教えは多く世に広まった。これは光圀の狙いどおりであったといえましょう。
ありがとう水戸黄門!!! |
ありがとうTBSとスポンサー!!! |
水戸黄門は永遠に |
