以前から気になっていた日立市のパチンコ金○車の横にある洞窟の探検に行ってきました!

その洞窟は心霊スポットでもなんでもないただの洞窟ですが、その洞窟は防空壕であるという噂があります。

日立市の海岸線には、水木浜から河原子海岸にかけていくつもの洞窟がありますが、この洞窟はそのうちのひとつで、日立市のパチンコ金○車日立南店の横の崖にあり、海沿いに面した所にあります。

今回は地元の友人H氏と共同で探検です。





  場所↓↓ (クリックで拡大します)
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   早速、その防空壕をみなさんにご覧いただきたいところではありますが・・・


   その前に。。。。。


   日立の艦砲射撃を抜きにしては、日立の防空壕を語れません!ヾ(゚Д゚)ノ


   日立艦砲射撃について簡単にまとめます。





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   日立空襲と艦砲射撃

    
 戦時中昭和20年に日立市は、軍需工場である日立製作所などの工場が数多くあったためアメリカ軍の攻撃目標となった。
 
 アメリカ軍は攻撃目標である日立製作所をはじめとした軍需工場を破壊するべく、昭和20年6月10日及び7月19日に戦略爆撃機B-29により1トン爆弾爆撃や焼夷弾による焼き払いなどの大規模な空襲の被害を受け、第一回空襲(6月10日)で死者1275人、第二回空襲(7月19日)で104人が死亡した。

 また同年7月17日にはアメリカ海軍第三艦隊の戦艦による艦砲射撃が行われた。
昭和20年7月17日には日立沖に、アメリカの戦艦五隻(ウィスコンシン、ミズーリ、アイオワ、ノースカロライナ、アラパマ)、軽巡洋艦二隻、駆逐鑑九隻 合計一六隻一斉による艦砲射撃が行われ、大部分は工場外の住宅地に落下し317人が死亡、367人が重軽傷を負った。







で、実際どれ程の破壊力があったかというと・・・

投稿動画サイトにその動画があったので実際に見てみたいと思います。

これは実際に日立の工場を砲撃したアメリカ戦艦『ウィスコンシン』による16インチ砲の動画です。

この動画では日立を砲撃したものと同じ16インチ砲を3連射しています。
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この16インチ砲が日立製作所多賀工場に530発、同電線工場に126発、同山手工場に89発、日立鉱山電錬工場に125発の合計870発の16インチ砲が撃ちこまれたという事です!!

日立艦砲射撃がいかに凄まじく恐ろしいものであったかが分かると思います。


(こちらはアイオワ級戦艦16インチ砲↓↓ 発射時の爆風で海面が下がっています)
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防空壕探検へ



昼間は、パチンコ客がいそうなので、隠密行動という事で地元の友人と夜10時ごろに行きました(; ̄ー ̄

パチンコ金馬車のすぐ隣にありました。実際に行くとすぐに分かります。国道245号を通ったなら、パチンコに行くふりして通って見てみてください(笑)


これがその防空壕です。
自然できたものではない事は確かでしょうね。

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  友人H氏が先陣を切って防空壕の中へ進入します。  (石橋をたたいて渡る。。。ププッ ( ̄m ̄*))






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防空壕入り口はゴミが散乱しています。

暴走族のたまり場にでもなってるんでしょうか。




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ん?? なんだこれ??















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  ・ ・ ・ 。



散乱するゴミに紛れて、えろビデオまでもが捨ててあります・・・

なぜわざわざこんなところに捨てるのか理解できません( ̄ロ ̄lll)

各自治体の指定する分別に従って、かあちゃんに見つからないようにこっそり廃棄してください。…












洞窟の奥へと進みます。





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内部はやや広い感じで、天井までの高さは180cmくらいはあろうかと思います。
機械掘りか??手掘りか?? 
手掘りの隋道のように粗いかんじで掘られているかと思えば、意外と綺麗にしっかりと掘られています。



                                    (↓↓ 無数に、横に線ができていて掘削した跡がある)
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更に最深部へと進みます。。。。。
















あれ?(@_@u



突然目の前の視界が開けました。

別の空間に出てきました。

洞窟の外へと出てきたようです。




しかし、洞窟を脱出したところですぐ目前にとても嫌なかんじのものが飛び込んできた・・・Σ(´Д`;) 















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とても嫌な感じのする廃屋(?)です。
かなり雰囲気が重くどんよりとしていて不気味な印象です。
しかも、ぱっと見た感じではただの廃屋ですが、多数の球体に紛れて緑色のオーブ(心霊オカルト専門用語で霊魂)が写りこんでいます(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル





お気にいりブログの心霊に通じる人に鑑定してもらったら動物霊ではないか??という事ですが・・
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さて、防空壕を抜けたところで不気味な廃屋と突然対面しましたが、この先ヤブだらけで通り抜け困難なので先ほど来た道、すなわち洞窟の方へと引き返します(汗)  
再び洞窟に入る羽目に・・・( ̄ロ ̄lll)



今度は、防空壕と決断に至る物的証拠が何かないか洞窟内をくまなく調べてみる事にします。



すると友人H氏が何かを発見したようです。
 コレ
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「ただの穴だが、これがどうした?」と言いたいところですが、これは友人H氏に言わせると鉄砲の弾の跡ではないかというのです。(ー`´ー)うーむ・・。

確かに、無数の穴は洞窟入り口で、開口部の正面の壁(入り口に入って突き当たりの壁)にだけ広がっているようだ。


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もしかしたらアメリカ戦艦の機関砲の弾の跡か!? それとも艦載機グラマンの機銃掃討の跡か!?

謎は深まるばかり(ー`´ー)。。

そこでひとつひらめきました!!

2方向に開口部がある点からも、これは住人が避難する防空壕なんかではなく、旧日本陸軍が使用した塹壕跡なのではないかと!! 

太平洋の海上からは艦載機グラマンが低空で進入し機銃掃討をしかけてきたり、B29が1t爆弾で工場を破壊しにやってきます。

 そこでこの塹壕に避難しながら、この洞窟は武器庫及び火薬庫として使用し洞窟に隠してある対空機関砲で打ち落とすという事だヾ(゚Д゚)ノ!  どうだ??




地図から消えた村!?



洞窟探索を終えて、もうひとつ気がついた事があります。

辺りを見渡すと、廃屋が数件あり、どういうわけか廃村というか廃集落化している事に気がつきました!

全ての民家が廃屋になりそのまま数十年間の間、放置され続けています。

あくまで憶測ですが、ここは辺には昔は家が数件立ち並び何らかの理由で立ち退きを余儀なくされ廃村になったと思われます。 
それは戦争開始による集団疎開か?防波堤工事のためか?はては海の家か!?でもここは海水浴場じゃないし…(汗)

真相は不明です。


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東大沼町1丁目35番地の電信柱。この周辺は昔に部落があり電気も通っていた事でしょう。
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まとめ


では、これまでの結果をまとめたいと思います。

ちなみにこれらは全て憶測でものを言っているのであてになりません(笑)


まず、この洞窟が防空壕であったかというとそうかも知れませんが、旧日本陸軍が塹壕として軍用目的で使用したか、この35番集落の住人か誰かがただの倉庫代わりに使ったのではないかと思われます。

そして、この防空壕は洞窟(行き止まり)ではなくトンネル(?)でした…。

洞窟内の役目が終わって数十年後は、布団が敷かれていた点からするとホームレスや浮浪者が居住していたと思われます(汗)

そして、そのホームレスはより安住を求めてでていったと思われます。あの捨ててあったエロビデオが何よりの証拠です!…



しかし今回探検した防空壕と噂される洞窟はまさしくその艦砲射撃のあった海岸線上にあるわけなのですが、防空壕と断定するにはいくつかの謎が残ります。

①なぜあえて危険な海岸線に防空壕を掘ったのか?

②なぜ開口部が両側に2つあるのか?

③この洞窟の真の用途、掘られた年代は?艦砲射撃を予想していなかったか、普通そんな危険な海岸線なんかに防空壕を掘ろうとするだろうか?
 
 独自で調べましたがろくな情報が収集できず、防空壕だと断定には至りませんでした......







以下の地図に記載しました。

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東大沼町1丁目35番地の廃集落についてもまったくの謎です。。。

この付近、河原子海岸のほうにも防空壕らしきものがあるらしいので、機会があればそちらの方にも行ってみたいと思います。


以上でこの防空壕の探検と調査を終了とし、まとめとさせていただきます。おつかれさまでしたヾ( ̄o ̄)…