赤線で囲っているところが『地獄沢』と『嘆願沢』である。
等高線を見てもらえば分かると思うけど、確かに地獄沢付近は急激なV字谷になっていて袋小路になっているのが確認できる。これは間違いないとみていいだろう。
そして、赤線の横にある、嘆願沢隣りの岡ノ内郷は、「情け知らずの岡ノ内」といわれているそうだ。助けを求めにきた村人を見捨てたのだそうだ。 でもこれは今も呼ばれているのか分からないし、本当かどうか分からないので『情け知らずのおかのうちぃ~(*`▽´*)ヤーイ ヤーイ』って呼んだ日には、その地元住民にブッ殺されるかも!?(`Д´)アン????????
ブッ殺されはしないにしても、嫌な顔はされそうですねー
この『情け知らずの岡ノ内』って言葉は大昔にできた、この部落を皮肉にしたた言葉なので言わない方が無難そうですね。呼ばれる側にしてもいい気分ではないはず。
★写真2枚目★
これはグーグルの航空写真サービスであるが、この写真を見て分かるように地獄沢付近は深い森に覆われていることがわかる。この近くには、月居城(つきおれと読むらしい)がある。
★写真3枚目★
地獄沢は『嘆願沢』のだいぶ奥に入ったところにある事が分かると思う。等高線地図でも航空写真でも
嘆願沢では行き止まりにならずV字谷になってはいない。
さらに途中遭遇した近隣のおばあさんが草刈をしている手を休めてなこう教えてくれた
『じごぐざわはこの奥行ったどごだ~ ながぐづでもねぇどはいれねぇべよ~ がぐしゃ(学者)とかよぐ来んだけどみんな途中で引き返して帰ってくんだは~ いまは草ぼーぼーではいれめぇべ?』と、ネイティブ大子人(?)での茨城弁がまじりながらも親切に教えてくれた。
茨城弁が交じり聞き取りにくかったが、貴重な情報を聞き逃すまいと必至で耳を傾けた。
幸いにして、自分の地元は茨城で水戸出身だったので茨城弁をパーフェクトなまでに聞き撮る事ができた。これがきっと東京から来た人とか、他県の人だったら全ての会話を完全に聞き取ることは難しかったであろう。
★写真4枚目★
のどかな田園地帯にすごくでっかい岩 ってか岩石が不自然にころがってあった。山から転がってきたのかなーとも思ったけど周りには、竹に結ばれた札や目印っぽいひも以外には岩石など見当たらない。
というか、その時何を根拠に思ったのは分からないが、奥からは沢で水が流れてきていて、けっこう土石等が堆積している様にもみえたので、岩とかいろんなのが埋まってるのかも・・と思った。実際ここの畑はまわりよりも高く景色が見渡せる。
肝心な、生瀬一揆により全滅する事になってしまった村なのだがどこにあるんだろう・・・
岡の内が隣にあり地獄沢が奥なのだからやっぱりこの田んぼのところもしくは土の下に全滅した小生瀬村はあったのだろうと勝手に思った。
そして岩は誰かが持ち込んできたもので、400年の年月が経つにつれ土砂が堆積していったと勝手に考察。てか、地獄沢に関しては資料がないっていう位少ないから調べようがない
★写真5枚目★
・・・完全に甘く見ていた。地獄沢入り口は藪に覆われた分厚い壁が立ちはだかっていた。
まるで、これからピクニックにでも行くのかっていう軽装備で来てしまったのだ。こんなに奥が深いとは思っていなかった・・・しかも草やヤブは自分の背丈以上はある。歩けないことはないが、このまままともに突破すれば靴はずぶ濡れになり、蛇やヤブ蚊の餌食になる事は言うまでもない。
連れの友達に至っては「夏到来っ!!」ってかんじの半そで半ズボンで来てしまったので、ヤブ蚊にあちこち刺されまくりで、なおかつ蜂、蛇にもにだいぶ悩まされた。
地獄沢入り口手前の右側は比較的ヤブなども少なく比較的歩きやすい。そこから進入したのであった
★写真6枚目★
地獄沢に行くきっかけとなったのは、その地獄沢を一番最初に知る事になった東北心霊地図という心霊サイト。心霊スポットを検索してたらこの『地獄沢』という投稿をたまたま目撃した。年がら年中心霊スポットに行ってる訳ではないのでw 行くときは、前もって調べてから行くことが多い。
この投稿を半信半疑で実際に行ってみれば、バッチリ当たっているんだからビックリ!
しかしこの投稿者『茨城在住』ってやつは、地獄沢に関しての情報が少ないのに地理的なものまで知っているんだから大子の地元の人が書き込んだのか・・・
心霊サイトの投稿はどこも噂話ばかりで信用できん!!と思って馬鹿にしていたが、心霊サイトの投稿情報もなかなか侮れない (⌒_⌒; アセアセ