こんにちは、オーシャンです🙏🏻

ボクシングを引退後、一からのスタート。
まずは練習環境を求め、昔所属していたジムへ行き、会長に挨拶。
分かっていたことではあったけれど、門前払いでした。

ここで補足しておきたいのは、
私はジムや会長から恨まれるようなことをしたつもりはありません。
キックボクシングを引退した時も、きちんとジムへ行き、引退することを伝えました。
その後、ボクシングへ転向。
そして今回、ボクシングを引退し、
「これからはフリーとしてやっていきます」
そう伝えたところ、
【潰す】
という言葉を受けました。
分かっていたことではあった。
それでも、やっぱりショックだった。
その時は、「そう思うしかない」
そう自分に言い聞かせました。

ジム選び。
ここからが大変な道のりでした。
当初、閉店が決まっていたジムに、一般会員として入ることができました。
この時の私は、
「2010年、アヌワットと戦った時の感覚があれば、まだやっていける」
そう思っていました。
でも、現実はそんなに甘くなかった。
それを、すぐに思い知らされます。
9年ぶりのキック復帰戦。
2019年11月4日 RISE 135
相手は、前口太尊選手。
ところが、リングに上がってみると――
アヌワット戦の感覚どころか、
ボクシングの感覚だった。
結果は惨敗。
そこから世の中は、コロナ禍へ。
負けが続き、試合だけではなく、
練習する場所さえ見つからない。
自分を受け入れてくれるジムが、なかなかありませんでした。
現役中は控えていた話ですが、
今回は引退した身なので、書かせていただきます。
そんな、どん底にいた自分を、
フリーのまま受け入れてくださったのが、ウィラサックレック会長でした。
本当に感謝しかありませんでした。
練習拠点は、WSR三ノ輪ジム。




そこで出会ったのが、ポテ先生。
私にとって、最後のムエタイコーチです。




ただ、この頃の私は――
まだ、自分の核である
「ムエタイスタイル」そのものを拒んでいる時期でした。

ようやく感じた手応え。
なかなか結果を出せない時期が続きました。
そんな中、ようやく手応えを感じるようになったのが、
全日本キックボクシング協会でした。
引退試合まで、本当にお世話になった団体です。
そして、全日本キックボクシング協会代表の
栗芝代表には、心から感謝しています。
2024年12月28日。
後楽園ホールで開催された
全日本キックボクシング協会
「原点回帰 四ノ陣」
メインイベントで、
瀬川琉選手と対戦しました。
結果は、判定負け。



それでも、2019年のRISE復帰戦と比べると、明らかに違いました。
あの時は、アヌワット戦の感覚どころか、
ボクシングの感覚で戦っていた。
でも、この頃には少しずつボクシングの感覚が抜けて、
自分のムエタイスタイルに近づいてきた。
ようやく、
「これだ」
そう思える感覚が戻ってきました。
ここまで戻ってこられたのは、
ポテ先生のコーチングのお陰です。
本当に感謝しています。
そして、この時の自分はまだ知らなかった。
この先、最後の試合で――
自分の身体が無意識に選んだのが、ムエタイだったことを。 🇹🇭🥊🦵



始まりがあるものには、すべて終わりがある。
ムエタイ戦士として終われた、引退試合。
最後の試合では、ポテ先生が体調面の事情でセコンドを離れることになり、バトンタッチする形で若きコーチ、ティウコーチに指導していただきました。
これまたフィーリングなど、いろいろな部分が合って、最高でした。
そして一度だけ、タイ人コーチによる首相撲の練習をしました。
実に15年ぶり。



今思えば、この一度の練習が、
自分の核となる心・センチャイジムスタイルを呼び覚ますきっかけになったのだと思います。
2025年12月28日。
後楽園ホールで開催された
全日本キックボクシング協会
「挑戦 4th」
セミファイナル、日韓国際戦。
チョン・サンヒョン選手と対戦しました。
1R、偶然のバッティングにより視界が悪くなりました。
その後、すぐにダウンを奪われる。
1R終了後のインターバル。
ティウコーチから、熱い指示をいただきました。
そしてインターバルが終わり、ゴングが鳴った瞬間――
ふと頭がスッキリした。
力が抜けた。
そして、自分でも思いもしなかった動きが出ました。
それは、全く練習していなかった
ムエカオスタイル。
まさに、
「心・センチャイジム」でした。
そこから最後まで、攻め続けました。
結果は、判定負け。
でも、最後の最後に自分を救ってくれたのは、
かつて自分の核となる
心・センチャイジムスタイルを作り上げてくれた師。



試合終了のゴングが鳴った瞬間、
かつての師に、
「コップンカップ🙏🏻」
そう思えた瞬間でした。
初めてチャンピオンになったリングは、後楽園ホール。
そして、引退試合のリングも、後楽園ホール。
キックボクサーとして。
そして、ムエタイ戦士として。
感無量でした。
全日本キックボクシング協会関係者の皆様をはじめ、
栗芝代表には、
コップンマーカップ🙏🏻🇹🇭



そして、引退した今もなお、
ムエタイの探求は続いています。
身近で自分を支えてくれた家族には、
感謝しかありません。
振り返ってみれば――
すべて、ムエタイが引き寄せてくれた。
🙏🏻
ムエタイNo.1 🇹🇭🥊🦵