2月4日
1月27日のブログの中で
チャリで転んで ハンドルが左側の肋にささって痛い
っていう話を書きましたけれど
実は 今もまだ痛いのです。
仕事復帰の今朝、
厩舎の仲間達から暖かく向かえて頂いたのは いいんだけど
馬房掃除をするにも肋が痛むし
水バケツを持っても痛い。
何をしても痛い (゚ーÅ)
すっ転んだ時に比べたら 痛みは和らいでいるけど
まだシップが必要かもしれぬ。
父から「持っていきなさい」と言われて
父の湿布薬をごっそり持ってきたのでありました ( ´艸`)
1月24日からの日本滞在中、毎日ご近所の方々が
「食事」の差し入れに来て下さったので
やけにゴージャスな夕飯を毎日食べておりました。
ほんとにほぼ毎日。
兄が山芋をたくさん使ってお好み焼きを焼いてくれたこともあって
それはそれは美味しかった ヘ(゚∀゚*)ノ
出発の前日の月曜日のお昼は、
水曜日が私の誕生日だからって
超特大のオムライスを作って頂きました。
それはそれは大きくて
私は夕飯が要らなかったほど。
「大戸屋」で 夕飯の代わりにぜんざいを食べようかなと
思ったんだけど
豆腐のミニサラダと ひじきと大豆の煮たの にしたのよ。
あらまぁ この12日間で太ったかもしれない(汗)
母の葬儀の、特にお通夜にはほんとにたくさんの方が来て下さって、
私は泣きながらみなさんがお焼香するのを見ていたんだけども
泣きながら
「はて、この方はどなただっけ・・・・(汗)」
えーとぉー。。。。
でも みなさん 私の事を覚えていて下さったので
昔の話をたくさんしてきました。
中でも、
たぶん母の古くからの知り合いの方なんだけど
握手した時に 私のマメだらけの右手を見て
「働き者の手だわね (^-^)」 って仰って頂いたのがとても嬉しかったです。
ご近所の方から
「みねっちのお母さんだけだったのよ、
『いつも頑張ってるよね、よくやってるよ』って言ってくれてたの (゚ーÅ) 」
「いつもみねっちのお母さんに相談事してきたから
これから誰を頼ったらいいんだろう。。。」
そんな事を聞いて
母はたくさんの方から愛されてきたと しみじみ思いました。
お裁縫も習字も得意だった母は なんでも器用にこなす人で
生命保険会社の外交員のおばさんは
「私よりも保険のこと知ってる」って仰ってたし
テレビや新聞からいろんな情報を抜き取って よく覚えていました。
頭の回転の早い人だったんでしょう。
自慢の母でした。
私はそんな母を見て育ったので
私は母とよく似ています (^-^)
(暗に私も頭がイイ って言ってる様に聞こえるかもしれないけど実はそうかも)
さて、
今日の夕方は パケナム競馬場で6頭出し。
私は2頭を曳くことになりました(!)
1頭曳いただけでも 結構疲れるんだけど
2頭曳くのは久しぶりだな~
明日の午後はたしか休みだったはず。 ラッキ~~。
この土曜日まで3人抜けているので どうにも忙しい。
「もっと日本に長く居られないの?」って何人かから言われたけれど
昨日戻ってきて良かったです。
なにより 担当馬のテリーを曳くのが楽しみ (^-^)
きっと
いつものように 好きなことを仕事にして元気でいることが
母への弔いなのだと思います。
『日本に戻っておいで~』って言われることもありますが
自分が帰りたくなったらそうすることにして、
しばらくはこっちで 可能な限り仕事できるまで がんばりますわ。
一番の気がかりは父なんですが
勤め先のスタッフの方々にすごく良くして頂いてて、
スタッフの方みんなから 「お父さん」って慕っていただいてるので
仕事していれば気が紛れるかな。
ただ帰宅した時に 家は暗いし ストーブも無く寒いから
余計に寂しくなりそうだけどね・・・
ご訪問ありがとうございました p(^-^)q