五体満足のありがたみ
私達が泊まってるビーチハウスはThe Paper Bark Shackという。
Paper Barkが庭に植わってる。
昨日の夜は風が出てちょっと寒かった。
ルビーがすっかりビーチハウスに慣れてくれたので安心。
フローリングがどうも居心地悪そうなので、キャラバンの中で使っている
足拭きのマットを持ってきた。これはルビーのお気に入り。
さっそくマットの上にボジションを取って落ち着く。
夜も私達のベッドの横で眠り、
早朝 ベッドに上がって私達の頭の上を通りながら「外に出してくれ」と起こされた。
あたしの髪を踏んづけて行かないでよ。痛いよぉ。。。。
今日はGrafton(グラフトン)へ行って旦那のおばあちゃんと姉ちゃんと一緒にランチ♪
10時半頃に到着、車のサービスが必要だったのでメカニックをやってる義兄のショップへ行き、オフィスで働いてる姉ちゃんとお昼の打ち合わせをして代車を借りておばあちゃん家へ。
PCを持って行ったので 今までに撮った写真をいっぱいみせた。
そろそろ約束の時間になったので中華レストランへ。
おばあちゃんは腰の関節がずれていて 左足が上がらない。
借りた車は三菱のパジェロで、車高が高いので乗り込むのは案外たやすかった。
乗り降りでちょっと支えになってあげると おばあちゃんは難なくこなすことができた。
「アタシは障害者だからね、だからビーチハウスにも一緒に行けなかったのよ。いろいろ不自由だからね」
とおばあちゃんは言う。
左から、姉ちゃん・おばあちゃん・私・旦那・甥っ子
甥っ子(姉ちゃんの次男)も急遽加わり楽しいランチだった。
料理も美味しかった!
食後は旦那のおじいちゃんとお父さんと、おばあちゃんの2人目の旦那さんの眠る墓地へお墓参りに。
1976年8月14日、旦那のお父さんは地元のグラフトン競馬場でレース中に落馬し そのまま帰らぬ人となった。享年28歳。
当時旦那ママは20歳。その日を境に、ママは全ての感情を表すことを止めたという。
今でこそ「あんなお母さん」だけど、世界で一番愛する人との結婚生活がたった5年ちょっとで終わらされた悲しみは果てしなかっただろう。
ママが15歳で結婚してから今日の今までを見て来たおばあちゃんは、いったいどんな想いでいるんだろうか。
墓地にはキレイなお花がいっぱい供えられていて、まるで花畑のようだった。
おばあちゃんが「ほら見て。ここらにも誰かに愛された人たちがたくさん眠ってるわね」と言った。
おじいちゃんとお父さんのお墓はレンガで出来た壁のお墓(名前のプレートの後ろに遺灰を入れられるようになっている)なんだけど、2番目の旦那さんは花壇の中に遺灰が埋められている。バラ、サルビア、ニチニチソウが旦那さんの上に咲いていた。
おばあちゃんは既に自分のお墓も葬式の準備もしたと言う。
「アタシのお墓はね、おじいちゃんの隣にあるの。ビル(2番目の旦那さん)には申し訳ないけど、やっぱり私は最初の旦那と一緒に入るからね」
おじいちゃんは67歳で他界した。 その後に結婚したビルさんは76歳で亡くなった。
どちらも逝ってしまうにはまだちょっと早い年齢だったと思う。
私と旦那がこうしてキャラバンで旅を続けられるのは 私達が健康なお蔭である。
今のところ命にかかわる病気であったり、身体に障害があるわけでもないので
こうして旅を続けられる。
紛争、内戦の無いオーストラリアで暮らしているお蔭もある。
私達はなんてラッキーなんだろう。 なんて恵まれているんだろう。
この恵まれた環境をいかして
私達はこれからも旅を続けていきたい。
知らない街、知らないオーストラリアをもっと見て行きたい。
おばあちゃんを送ってから旦那が10代まで過ごしてきたグラフトンをドライブして周った。
驚いたことに、旦那が小さい頃に住んでいた家が今もそのままある。
誰かがそこに住んでいる。
グラフトンは歴史的な建物がいっぱいあって、郵便局も警察署も郡役所も昔の建物をそのまま使っている。
旦那姉ちゃんも結婚式で使用した、古い教会。ここにもジャカランダの木。
明日は移動です。Port Macquarie(ポート・マクアリー)に2泊して、その後はどうするんだろう。。。
ダーレーから相変わらず連絡が無いので、チェリー・ピッキングの農場に電話したら明日返事をくれると言う。
なんて行き当たりばったりなのかしら。
マジで仕事を始めないと、そろそろヤバイんだけどね。
まぁとりあえず、南を目指します。
今日はご訪問いただきまして ありがとうございました p(^-^)q


