政治難民の掃除婦
昨日ドイツに暮らしていた時の掃除婦について書きましたが、
私はこの”掃除婦”という言葉に抵抗があります。
でもドイツ語では“プッツフラウ、直訳すると“掃除をする婦人”なのです。
知り合いのドイツ人に紹介してもらったその人は、
当時まだ独裁政治まっただ中のチェコスロバキアからの難民のとても綺麗好きな奥さんでした。
「3歳の息子を連れてきていいですか?」と言うのでOKしました。
その可愛い男の子はママがお仕事をしている間ぷっち達の子供部屋のおもちゃに埋もれておとなしく遊んでいました。
本国ではきっとエリートの一家なんだろうなと思うとなんだか気の毒で、
本当は2時間も働いてもらえば十分だったのを3時間にして、終わったら早めに帰ってもらったりしました。
1年後くらいにアメリカに政治難民として受け入れてもらえることが決まって喜んでアメリカへ渡っていきました。
当時のドイツはトルコや東欧からの移民や、ドイツに受け入れて貰えず他の国に申請中の難民が多く、
その人たちはゴミ集配者や掃除婦としてドイツ人の嫌がる仕事に就いていました。
日本とは比べ物にならない程多くの難民を受け入れていたドイツですが、
それでも溢れて、新天地を求め、ドイツ経由アメリカへ移住して行く人々が沢山いたようです。
私たちが2回目にドイツに渡った時は東西ドイツ統一直後。
他国からの難民どころか東ドイツからの難民がドッと押し寄せ、
あちこちに東独難民用の仮設住宅が設置されていました。
他国の難民より自国の難民の世話に追われていたような状況でした。
当然治安も悪く、世の中は混沌としていました。
日本を出て外国で暮らしたから見えた事が沢山ありました。
来年こそはドイツノスタルジアの旅に出たいと思っています。
実現したら今のドイツはどうなっているかシッカリこの目で見てくるつもりです。