My Family Diary -1066ページ目

別れ

ぷっちが日本を満喫し、元気になって旦那様の待つボストンへ戻ったのが日本時間26日の早朝でした。


ぷっちがアメリカの土を踏むのを待っていたかのように、父の容態急変の知らせがきました。


里帰りしたぷっちと二人で面会に行くと、じーっとぷっちの顔を見つめ、にこっと笑った父。

この春ごろから殆ど目を開けることも無い程弱っていた父がぷっちを認識した瞬間でした。


22日に再び会いに行った時も同じくぷっちの顔をみてにっこりしました。

そしてぷっちが「おじいちゃままた来るから頑張ってね。」と言ったのがぷっちとの最後の別れになりました。


血圧の急激な低下で救急救命センターに運ばれた父は、

奇跡的に意識が蘇り、私と妹、その伴侶そして孫達に看取られて逝きました。


呼吸が苦しく酸素マスクをしているのに大きな目を開け私達を見て、管だらけの手を伸ばし、

私達の呼びかけに頷き、安心したかのように逝きました。


体は弱っていましたが、三度の食事はいつも完食し水分も摂れていたので、

こんなに早く別れが来るとはだれも思いませんでした。


でも、最後に私達を認識出来るほど意識が鮮明になり、私たちが伝えた言葉も全て理解し、

頷いてくれたことが何よりも嬉しく、私達は満たされた気持で一杯になりました。


かつての凛々しく妻子を全力で護ってくれた父に戻った一瞬でした。


この意思疎通の一瞬があったからこそ私たちは悲しみの中にも明るい気持ちで父を見送ることが出来たのです。


昨日のお通夜、今日の告別式も和やかに終えることが出来ました。