My Family Diary -1065ページ目

別れ 続き

この度の父のことで皆さまから私や娘ぷっちに宛てて心温まるコメントやメッセージを頂戴し、心から御礼申し上げます。


昨日までは朦朧として過ごしました私ですが、夕べ漸くゆっくり眠ることが出来、今朝はスッキリしました。



子供達とその伴侶、孫達とその伴侶、さらには長生きしたご褒美で会うことの出来た可愛いひ孫二人に送られて

父は安らかに天国へ向かっていることでしょう。


私の長男とぷっちは幼いころからまだ50代だった父によく預かってもらったり遊んでもらったので、

沢山のおじいちゃまとの想い出があるのです。


ボストンへ帰ったばかりのぷっちにどのタイミングで急を知らせるかで夫とかなり考えました。

ぷっちがボストンに着陸したころに父は息を引き取りましたが、ぷっちの長旅の疲労を考えると、

一晩ゆっくり眠ってから翌朝知らせたほうがいいのかと。。。


でも翌朝旦那様が出勤してしまってからではぷっちは独りで悲しみのどん底に陥ってしまうと考え、

旦那さまと再会し、お食事も済んだ頃を見計らって電話しました。


その後のぷっちの混乱、そして優しい旦那様の対応を知り私たちの選択は間違っていなかったと安堵しました。 http://ameblo.jp/maxpucci/entry-11033567101.html



いつもメチャクチャ元気な5歳女の子と7歳男の子の孫達は儀式の間完璧にお利口さんにしていました。


孫娘はお花を入れる時に泣きながらママに「またひいおじいちゃまに会える?」と聞いていました。


孫息子は、出棺の時に「男性はお手伝いを・・・」と言われ、男性だけが居る方にポツンといたので、あれ?と思ったら、大きな大人に交じって小さな手で棺を持ったのです。


この姿にまた涙が一層溢れました。



今言えること。


身寄りが無くひっそりと寂しく亡くなられるお年寄りも多いこの時代、

父は最愛の家族に惜しまれ、涙を流して見送られ、幸せな人生を全うしたと思います。


父と母が残してくれた私たち一族、3姉妹の枝分かれした多くの命。


終戦直後の混乱の時期に私達を護って育ててくれたその命を大切に、

父と母の想い出とともにこれからの人生を楽しみ、前を向いて生きて行きたいと思うのです。