仙台そして山形方面へ…続き
次の日の夕方山形方面へ向かうのにJRは乗り継ぎが悪く、遅くなってしまうので高速バスを利用することにしたのはいいけれど発車10分前。
仙台駅前を再び荷物+お土産を抱え、どこにあるかも知らないパス停を探して全速力で走る羽目に・・・・
やっと乗ったバスの座席に倒れ込み、二人とも遠い夢のかなたへ~
無事宿に到着し、ゆっくり温泉に入り、中庭で涼んだ後美味しい懐石料理に舌鼓
問題はそのあとです。
そこへ行ったのは前に書いたACであるすぐ下の妹の様子を見るため。
久しぶりに会った妹は何とトドのように太っていました。
相変わらず目眩がする、体調が悪い、歯がどうのこうの、目がどうのこうのと病気の話ばかり。
明らかに気にし過ぎでドクターハンティングしまくり。
それも精神科以外のあらゆる科へ行って精密検査をしている。
彼女にとって一番必要な科を抜かしている
医療費は膨大な額当然夫は現金をあまり持たせなくなっている。
持つと直ぐ医者へ行き全部遣ってしまうから。
精神科を受診するように夫が言っても私たちが言っても聞く耳を持たず、自分の気になることを一日中考えている。
10年ほど前から徐々に、今では明らかに壊れてしまっている妹。
学生時代は哲学書を読破したり、成績抜群だった妹。
結婚して37年、古い慣習の残る東北の片田舎で男の子3人を育てながら、
夫の家業が上手くいかなくなった時も、
土地の区画整理で夫に代わって前面に出て神経をすり減らした時も、
ケラケラ笑い飛ばしながら本当によく頑張って来たのに・・・・
23歳、順風満帆な平凡な結婚生活が始まろうとしていた矢先、結婚式の数日前に全てを捨てて、親の猛烈な反対を押し切って今の夫のもとへ走った妹。
自分が選んだ道、と私たちには言えない苦労が沢山あったに違いない。
もはや心を開いて私たちに相談することも無く、一人で堂々巡りをしている妹。
娘ぷっちの闘病を見守りながら私は初めてこの妹の生き辛さの根源に気づいたのです。
今までは我が娘ぷっち第一で妹の心配をするゆとりもありませんでした。
ぷっちが元気になってきた今、あらためて妹のケアについて考えるようになりました。