癒しとしての死の哲学( ・ω・)! | LITTLE MISS GAMINE

癒しとしての死の哲学( ・ω・)!

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今日は現代文超真面目に受けてしまったよ。
だからうちの"わかり方"で『癌告知における日本人の戸惑い』の"真実"をまとめます☆

癌におかされたと診断結果が出たAさんがいるとする。
それを診断したBさん(医者)がいるとする。
Cさんという家族もしくは近しい人がいるとする。

癌であるということは真実である。
しかしその"真実"はAさんがその事実をどう認識するかによって
いかようにも変化しうるものである。
また日本人という民族は
"エロス的な関係"
つまり
"人間愛を感じるような関係"
を大事にしている。
しかし大事にしているというだけでは飽きたらず、
自己をその
"エロス的な関係"
の中に存在させる民族である。
つまり自己を他人との(エロス的な)関係の中に見いだしており、
したがって、癌である、という事実を
いかに伝えるかというとまどいというのは、
単に"かわいそう"という感情によるものではなく、
ここでいうAさんが双方の関係性において
有意義な形で事実を捉えるように、
"真実"がより有意義なものになるように、
といった思いから生まれる気持ちである。

もっと簡単にすると、
癌という事実を知らせることにより、
Aさんは自分の置かれた状況が"わかる"。
Aさんがどのように認識し、生きるかということで
真実は変わってくる。
"あと半年家族と過ごせる"とか
"たった6ヶ月で死ぬ"とか、
どちらも事実ではあるけれど、
Cさんの伝え方によってAさんの"わかり方"が変わり、
それによって真実が定まり、
そしてその真実がAさんとCさんの関係性(つまり各の自己)を
形成する。
だからCさんにとってはAさんにいかに事実を伝えるかということによって、
実は自らの自己さえもがあらゆる形を形成しうる
という点において、
重要な意味を持つ行為であるといえるのである。
そのため、日本人にとって癌告知というものは
他の民族と比べて重要な意味を持つので
より大きな戸惑いを伴うのである。


どうだっ\(^O^)/笑





選手ともみさんありがとーo(^-^)o