その昔、まだ僕が24歳位の頃、自分の貸しレコード店で働く、






同じ歳のアルバイトの奴が、「付き合いのある、スタジオが、閉店したんで、






機材を譲り受けたから、何か社長の好きな曲を作りますよ!」と言うんで、






僕は、自分の好きなダンスミュージックを何十曲と渡し、特に期待もせずに、というか、






ほぼ、そんな事は、日々の忙しさに忙殺され、忘れてしまっていた。






ある日、彼が僕に曲が出来たとカセットテープをくれた。






店が閉店し、帰る車の中でそのテープを聞き、






まだ、僕の求めるものとは、ほど遠いけど、何か感じるものがあった。






それからは何度か彼の家に行き、あーでもない、こーでもないと、






ひたすら、僕の望む音に仕上げて行く日々を送った。






そして、彼は貸しレコードのアルバイトから、まだ、出来たばかりのエイベックスの社員となった。






当時の流行りのユーロビートを完璧なまでに、日本で再現するため、






エイベックスはまだレコード会社でもないのに、町田に小さなスタジオを作った。






友達の内装屋に頼み、防音の仕方もわからない僕らは、






それでも、自力で、どうにかスタジオを作ってしまった。






そして、すぐに、avex traxがスタートした。






HI-BPM STUDIOと名付けられた手作りのスタジオはさしづめ、ぼくのおもちゃに近いものだった。






僕がスタジオに一番時間をさいたのは、その頃かもしれない。






徹底的にEUROBEATをマスターするため、キックの音ひとつ作るのにいったい何ヶ月かけたかわからない。






そして、ついに僕らは本場のイタリアはミラノに旅だち、






その彼はEUROBEATの巨匠、デイヴロジャースのスタジオで約一ヶ月間アシスタントを勤め帰国した。






彼のEUROBEATの作品で、スーパーユーロビートに収録されている曲は、何曲もある。






当時、僕らは日本人とはわからないように楽曲を制作していた。






そして、世の中は、テクノハウスの時代へと進み、世はバブル。






ジュリアナTOKYOが絶世を風靡していた。






すかさず、彼はテクノハウスの制作に入る。






代表曲は、誰でもが知っているあの曲だ。Can't Undo This!!







そう、記憶にあたらしいところでは、DJ OZMAがカバーしたあの






I RAVE U feat. DJ OZMA の元曲である。






その後も彼はスターゲイザー、マキシマイザーの名義でジュリアナでのヒット曲を作りまくった。






時、同じく、小室哲哉氏がテクノハウスに興味をもちtrfをデビューさせる。






デビュー曲の「Going 2 dance」のリミックスは彼であり、






のちのちリミックスのほうがメインのアレンジと変わって行く。






「Going 2 dance」である。






今でもライブの場合は彼のアレンジが採用される。






それから、数年。僕は、彼にひとつのミッションを出す。






デビュー前の浜崎あゆみのレコーディングレッスンとデビュー作品の制作である。






約一年をかけ、その後、浜崎あゆみはデビューする。






「porker face」それは、彼の作曲である。






そして、名曲「A SONG FOR X X 」を彼は生みだした。






以降、浜崎あゆみに数曲、MAXの代表曲「Give me a Shake」も彼の曲だ。






しかし、彼はその後、10年近いスランプに落ち入る。






どれだけ、辛かっただろう。






僕も、忙しく、中々、手をさしのべてあげることができなかった。






現在、小室氏の右腕的存在で、且つガルネクのキーボード、作曲家の鈴木大輔が、






彼の曲ですごく良い曲があると、デモを受け取り、ピンときた。






完全復活、






もしくは、時代が巡ったのかもしれない。






彼が変わったのか、時代が一周したのかはまだわからない。






彼の名を星野靖彦
(←twitter account )という。





浜崎あゆみの次作「moon」の作曲家である。






是非、この曲を聞いて欲しい。







avex 仕事は仕事で遊びは遊び