松浦勝人の酒史 4 からの続き


僕は一気に多額な債務を負うこととなった。
あまりに任せきりだった自分が
悪いと思う以外、気持ちの救いようはなかった。

37歳。
自分を戒めようとワンルームマンションに引越しした。


いろいろなことの清算が始まった。
過去との清算だ。
自分でした事の始末は自分でしなければならない。

生活や考え方を変えざるを得ない状況に陥った。
今となってはそれが良かったのかもしれない。
ハワイ以降の精神的に病んでいた時よりも
更に比較にならないほど辛い日々の連続の中、
次第に僕は立ち直っていく。


「愛」というものを真剣に
考え出したのはこの頃だ。
愛といっても恋愛の愛ではない。
無償の愛だ。利他の精神だ。
どん底まで落ちたからかもしれない。
何のために生きてるのかって
ずっと考えて出た答えは
「自分のために生きてるのではない」
             ということだった。
本気でそう思った。
そんなことを考え出した38歳の時に
子供の命を授かった。


子供が出来て、39歳になり前厄となる。
相変わらず多額の借金は頭痛の種だった。
金利の支払いだけでいっぱいだった。


その年の夏今度はあの事件が起きる。
いわゆるエイベックス騒動だ。
24時間飲まずにはいられない数日間だった

これにはもうあまり触れないでおく。
忘れてしまいたいことだが一生忘れないだろう。

あの時、会社を辞めるということは
自己破産を覚悟してのことだった。




かくして僕は社長になった。
社長になる時、資本の移動で
株式を売却することになり借金はだいぶ縮小した。
縮小したことはしたが
まだあることに違いはない。

しかしまだ飲み続けた。
早々簡単には人間は変わらない。



ゆえに僕は
日本で一番社長が似合わない社長
だと思っている。

社長になって2年半。


まだまだ似合ってはいない(笑)

しかし、社長というものは恐ろしいものだ。
専務とはわけが違う。
当たり前といえば当たり前だが、
実際経験するとその違いの大きさに正直びびる。

まず、周囲の対応がガラッと変わる。

そしてここ最近、本当に自分自身、
気をつけて我を忘れないようにしていないと
だめだという事に気がついた。
いい気になってはいけない。

NOと言ってくれる人がいかに大切であるか、
間違いを指摘してくれる人がどれだけ大切か、
そしてそれを素直に聞く自分でいることが
いかに大事か気がついた。


絶対に裸の王様だけにはなりたくない。
そうなったら人としておしまいだ。

気をつけたい。。。。。気をつけます。。


そんな事を考え、いろいろと気づき始めた最近、

僕はお酒をあまり飲まないようになりました。
正直まだ一ヶ月弱なんで偉そうには言えませんが(笑)


松浦勝人の酒史 6 へ続く


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