少し前にハニカムで書いたものですがもう一度。。。。


今年の会社設立記念日パーティーで、質問された。


その中に「愛」というテーマがあった。


僕が、昔から一番良く考えるテーマだ。


自分でエイベックスを作って今年で18年。


その前身の会社を作って20年だ。


20年という月日はやはりかなりのものがある。


生まれてから20歳まで、そしてその後の20年間。そしてこれからの20年。


最初の20年はまぁ、今思えばなにもわからない、


だけど何かにものすごい情熱を傾けられる時期だった。


恋愛にしても、趣味にしても、なんにしてもとにかく熱中できる時期だ。


その後の20年間は最初の20年間の成果が仕事にもプライベートにももろに出る。


後半の30代過ぎは男にとって最高の時期を迎えることも出来るし、その逆もあるだろう。


それはすべてそれまでの生き方によるものだと思う。


もちろんそれに加えてつきや運ももちろんある。


しかしそれさえも、それまでの生き方によるものではないかと思う。


そして、40才をすぎると、あのころのようにギターやドラムを一日中弾きまくることも出来ないし


誰かを死ぬほど好きになることもめっきり少なくなってしまう。


40歳をすぎても僕は子供っぽいといわれるし、自分でもそう思う。


悪いことだとは思わないし、むしろそうでいたい。


だから、みたっくれも考えも、発言もいわゆる社長さん達とはちがうようだ。


それを悪いとは思っていないのだが、やはり上場企業の社長としては


投資家から見た時にその点を突かれたり、頼りなく見えたりするのかもしれない


僕の周りには千葉、荒木、小林、林という立派な経営者がいて僕を支えてくれる。


彼らがいなければとても僕にはエイベックスの社長など務まらない。


逆に、彼らが出来ないことや持っていないものを僕が持っているのも事実だろう。


でなければ成立しない関係だ。


副社長の千葉は99%、僕より自分の方が勝っていると笑いながら言う。


でも1%が僕に勝てないと彼はいう。。


その1%がどれほどのものかわからないが、


たぶんその1%がエイベックスの根幹にかかわることなのだろう。


それを僕は生まれてからの20年間でおそらく身につけてきた。


その後の20年間でそれを多いに利用してきた。


それは何??


僕と会った人でもぼくのことをそれほど知らない人は無愛想な人だと思うはずだ。


スマップのマネージャーの飯島さんからは


「あなた、うわさで損してるわよ! ! 私がポジティブキャンペーン張ってあげる(笑)」


とまで言われた(笑)


最近はそうでもないがしばらく前までは確かにそうだったと思う。


まぁ、照れ屋なんで、その裏返しで人に対してシャイな態度をとる。


それが僕の場合無愛想な態度になっていたのだと思う。


くだらないと思う話しかもしれないが僕は小学校4年生の時、


横浜の三ツ沢に住んでいた。


三ツ沢小学校の4年生の時、風邪をひいて一日学校を休んだ。


次の日、学校に行くといつも遊んでいた面子は誰も僕と口をきいてくれなかった。


原因はすぐにわかった。クラスのガキ大将をある奴と争ってた(子供なりにね(笑))


そいつが僕が休んだ一日で、ほかの奴らに命令して僕を仲間はずれにしたというわけだ。


2ヶ月くらい続いたかなぁ。子供の僕にそれは相当こたえた。


僕はクラスの主たるメンツからは相手にされず、


しょうがないからクラスの片隅で将棋とかをやっている奴らと仲良くなった。


放課後も彼らと遊んだ。


こんなこというと彼らには失礼だがそれまでの僕は幼稚園からずっと


彼らのようにクラスのはじっこにいる人と付き合ったことはない。


だけど、彼らと遊んで彼らのこともよくわかった。


よく釣りにも一緒に行った。


釣りを好きになったのは彼らのおかげだ(笑)


ある日、野球大会があって、仲間はずれにされてた僕に、


首謀者から直接誘いがあった。


参加してくれれば仲間はずれにするのはやめるということだった。


なんといってもまだ小学四年生である。僕は喜んで参加した。


このときに自分が何故人に嫌われたのか、どうすると嫌われないのか、


また、ふだんクラスのメインにいない人たちがどういう思いでいるのか、


どうしているのかすごく身にしみてわかった。


それから人付き合いにものすごい神経質になった。


これはトラウマである。


僕は人に気を使う。一方、気を使っているようには見せないようにもしている。

気を使っていないように見せて、

実は気を使っているというのが最高の気の使い方だと僕は思う。


その後30年間たつ。


その間、ずっとそうだったとは言わない。


いい気になって天狗になってしまった時期もある。


でもいつも、あの小学生のときのことを思い出す。


今思えば、すごく良い経験だった。


もの事に熱中するという意味ではバンドだろう。


中高はずっと音楽だった。


一時期バイクに趣味が走ったときも、音楽はいっしょだったし。


そして決定的なことは大学入学とともにディスコに走ったことだ。


大学4年間はダンスミュージック一色。。


今のような情報は全くといっていいほどない。


レコードのセンターラベルだけが唯一の情報源だ。


貸しレコードのバイトをしたのもそのせいだ。


仕入れ担当になればいくらでも好きなレコードが店の金で買える。


だからレコード店でなくレンタルにした。


レコード店では商品をあけて聞くということは新品なのであまり出来ない。


貸しレはいくらでも聞く事が出来たし、僕の担当は輸入盤なのでうってつけだった。


毎週毎週僕は渋谷新宿池袋の輸入盤店をまわった。


ディスコやクラブにいって知らない曲が流れるということは自分の中で許せなかった。


ディスコのDJよりよっぽど知識があったから結構DJのことを馬鹿にしてたかもしれない。


商売にしようと思って得た知識ではない。好きだからだけの理由で得たものである。


その後の10年間、このときの知識がどれだけ役に立ったことか


だからよく高校生や大学生に言う。


何でも良いから絶対に誰にも負けない知識を持てと。


それが僕の言うオタクという意味だ。


そして40代を迎えて僕はどこに向かっていくのだろう。


40歳で人生をほぼ一周してしまったような気がする。


甘いだろうか。。。甘いかもしれない。


でも、素直に思えたことは「ならば人生をもう一周してみよう」ということだ。


この40年間の成功と失敗の繰り返しから学んだことを糧にもう一度やるのだ


更に欲深く、更に純粋に。


だから子供のままでいい。


大人になるのはこれからだ。



今を言えば


幸せでもあり不幸でもある。


まだまだ何が起こるかわからないし、不安だらけである。


だって、まだ子供の僕の人生は始まったばかりなんだから(笑)


そういうわけだ。。(=⌒▽⌒=) ニャハハハ♪