登山したことある?
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勿論有りますよ。
疲労困憊なので登山の話は割愛します。
今日は登山ではなくて家の二階に登って作業してましたので、その時のことを少しお話したいと思います。
「二階に上がって」ではなくて、ほぼ「登って」です。
知人宅の解体作業を手伝っていたからです。
二階の床でまともに残っている所はどこもなく、油断したら落ちてしまう状況だから「登って」なのでした。
今日で3回目のお手伝いでした。
前は主にハンマーとバール、そして電動ノコギリを使っての作業でした。
私の好きなDBDのヒルビリーになったような気分で家をぶち壊していきました。
持ってる武器と言い、身に纏った服装と言い、全体的な出で立ちからして随分と男前に見えます。
DBDのキラーの中で一番好きな感じの見た目と攻撃方法のキャラです。
本日の二階に登っては電動ノコではなくて、ヒルビリーのようにチェーンソーを使って梁や桁や柱をブッタ斬っていきました。
グラインダーも使いましたね。あれは火打ち梁の留め金具を切断するのに使いました。
ある程度の区画の柱と梁の角材の塊をロープやチェーンブロックで固定して支えておいて、その区画をまだ支えている要所々々を切断して一定方向に倒す。
最初の倒壊では失敗して自分のほうに100Kgくらいの大きな角材の塊が倒れ込んで来ました。
う〜ん。ヤバかったですねぇ。
大部分は私の目の前に、ある部分は私を飛び越えて背中の方に落ちました。
L字型の角材の塊の内角にいて助かった感じですかね?
2回目の失敗の時は、二階の比較的広い所にいたので思いっ切り避けて逃げました。
いちおう申し訳程度に、二階にはまだ9mm厚の床は足場として敷いてあるから歩けるには歩けます。
でもその安定しない床上に脚立を置いて、そこを更によじ登っての梁を切断する作業は中々に骨が折れました。
まだギター作ってた若い頃のほうがよっぽど気楽でしたね。
そうこうしてる内に日付が変わりました。
何で自分が釣りをしなくなったかの理由の一つが最近分かったんです。
今年の夏にいざ釣りに行こうとしたら、
その後で釣った魚を調理して食べるというところまでには至りたくない。
そんな考えを自分が持っていることに突き当たったのです。
「調理して食べるところまでが釣り」
なるほどね。
私はその昔釣る専門でした。その釣り自体も生臭さに直面することを推してまで調理するつもりもない現在では、一切しなくなってしまったのです。
ミミズやゴカイ、イソメなどを釣り針に刺すのには直面出来るのにです。
まだ釣りだけしていた子供の頃のほうがよっぽど気楽でしたね。
さてなんとはなしに本日の本題です。
さっきはギター工房の人と1時間半くらい話をしてまして、
―その話の大半は科学やら哲学、神話、歴史や宇宙などの話だったんですけど―
ギターの話をしているよりも、そういったギターとは関係の無い壮大な話のほうが興が乗るのですよね。
ギターだけの話をしていてもあんまり気楽には感じてないのかもしれません。
困ったもんです。
だって(以下、その時の話の適当な要約です)
「最近地球によく似た惑星がたくさん発見されてきてるが、他の惑星には生命が住める条件が無いのだ」と言われたら、
「いやいや、精神的存在としてのビーイングが文明を築いていたら住めるでしょ?存在する宇宙は一つだけともまだ誰も科学的に断言できないのだから」
「だいたい地球には存在するにあたって肉体を必要とする、どちらかと言うと堕落したビーイングが集まって来てるんだから」
「古代中東に突如として現れた伝説の三賢者は、一人が後に生まれ変わりで生まれてくるゴータマ・シッダールタで、もうひとりはイエス・キリストで…」
なんて話を、一体何処のギター工房の主と他でするのでしょうか?まず他ではけして出来ないと思うのですよ。(笑)
私が一方的に話したんではなくてちゃんと‥
「鬼界カルデラの破局噴火がなぁ…」などと言うと‥
「破局噴火したから鬼界カルデラが出来たんや!順序が逆や!」
「(ううっ、それもそうだが)それってトレモロ載ってないストラトにシンクロナイズドトレモロのデカールをヘッドに貼ってるフェンダー並みの間違いでしかないやんけ!」
みたいな応酬が他の話題でも延々と続くんですよ…
私の知らないこともたくさん話してくれるのでとても楽しいんですね。
そしてこんな会話を私と交わしつつも、この工房の主(アルジ)は「現実主義者」を自認しているわけです。
本当に自分の頭を使って物事を考えられる人って、頭ごなしに決めつけ過ぎないで柔軟に色んなことを考えられるように見えます。
その時の一時間半近く及ぶ話の全部はこの場所では言い尽くせませんが、
まぁ、ギターの話はその内の15分位はしたかなぁ?
面倒くさいから普通にストラトを一本作っておくれと話しました。
まだ先の話ですけどね。
昔からいつかは欲しいなと考えてる、あるストラトタイプのひとつがあるのです。
フェンダーを買うのが一番だと言う考えも私の中に有りますが、色々なことを総合的に考えるとそのギターに関してはそこで作ってもらうのが一番かなと。
単にその欲しいストラトのタイプで考えるとフェンダーが一番。
でも様々な観念を総合して考えると、
必ずしもギターと言う範疇内で考えた時には見えて来なかった
それよりもより広くて高い所から物事を見渡すように達観して見れるような気がします。
そうすると結果的にもっとより良い…
ー フェンダーより良いとか「〇〇より優れている」かは別として、少なくとももっと違った視点で思いもかけないような ー
そんな楽しげなことにも遭遇出来るのかもしれません。
楽器も出会いが大事ということで、思いがけず入手したと言ってる人が少なくないですが
単品製作ギターで自分好みに作ってもらう時でさえ、そういう出会い的なものは多分あると思うのです。
こういうギターだったらあそこの工房で作ってもらおう。いや、違う。あっちの工房かな?でもここはこのように作りたいから…
でもその部分だけまた違うあの工房で頼めるかな…
そして自分が思い描いた通りに出来上がって来るのだろうか?もしかしてそれ以上だろうか??なんてね。
そんな細かな楽しげな悩みさえも、より広くて高い視点に立てればきっとどうでも良くなりますよ?
今日一日中、二階で危ない作業をずっとしてたから間違いないです!(笑)
なにせ約2回ほどは生命の危機も感じてましたから!!(爆)
以理不破法
非理法権天
二つとも同じような意味ですけど、正成公の言葉のほうがより深く探究して言ってる感じがしますね。
最近見たギターでは、
普通のストラトぽく見せて24F分のエグレを付けてるから、ちょっとだけ目新しい試みだなぁと思いながら見てました。
でも今日話していたストラトタイプは、これよりももっと普通にフェンダーぽい見た目で、中身と機能は全然フェンダーじゃないギターを目指したいですね。
日頃は「オリジナリティこそが大事だ!!」とか言うことが多いのですけど、
フェンダーギターの見た目はもうギター業界の中で決まり切っていて、永遠のスタンダードモデルとして定着してますから、その事自体は誰も否定出来ませんよね。
正成公の言う “ 天 ” とは、
私の今の所の解釈ですと、
ざっくりであまり自分の言葉で言えてないのですが‥
万物の摂理だとか、自然の法則だとか、単純に天の意志だとか、そういう大きな力に則っていることであり…
例えばギターで言うと黄金率を計算して設計に取り込んでいる人もいたりしますよね?
う〜ん。話が抽象的過ぎますよね?
まぁ、「神は細部に宿る」では全然なくて
「大局を見据えた上で必要に応じて細部にも(結果的に)拘ることになった」
と言うのがより真実に近いと思うのですが、果たして如何でしょうか?
真実とは、
その考え方や、やり方をある物事に適用した場合により効果や成果を発揮出来た度合いに応じて、より真実に近いものだと言える。相対的なものと言えるそうです。
これが真実の幾つかあるうちの定義の一つになります。
結果が出せないものは真実とは言えません。
今日は疲れ過ぎてまた可笑しな事を独り善がりのように宣ったかもしれませんね。