好きな駅弁、教えて!
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駅弁はなんでも好きな気がします。
ホタテが入ってるやつなんか良いですね。
幕の内弁当も最近良いかもと思うようになって来ました。
駅弁ではないかもしれませんがイカ飯なんかもう最高です。
飛行機の機内食も好きです。
ケースの中に所狭しと食材を詰め込んだ感じがたまりません。あのチープな味わいも最高です。誰かが食べずに持ち帰った機内食を貰うのも実に嬉しいことです。尚、エコノミークラス以外のことは知りません。(笑)
昨日は食事の席でたまたま居合わせた女子高生達とお話しまして、
・・・と思ったら女子中学生でした!
(親とか同伴してませんでした)
そのお店には割り箸と樹脂製のお箸、両方置いてあるのですが、女学生さんが割り箸を使ってましたので、
「割り箸の90%以上は中国製で漂白剤と防腐剤を思いっ切り使ってるから、これを金魚鉢に漬けとくと金魚が死ぬんだよ」
と教えてあげました。
彼女が食べてる物に箸を使うような汁物はなかったので、とりあえず今は心配しなくても良いとも伝えました。
割り箸って金魚の全長の3倍以上はありますからね。人間の身長の3倍以上の木に染み込んでるのに相当する防腐剤/漂白剤を人が口に入れたとしたら...
一番軽くても吐き気くらい?は催すのでしょうね。。。
一番重くて死亡も有り得そうです。
でも人間にとっての割り箸なんて微々たる質量の物ですから、たとえそこから微量な毒素の影響を日々受け続けていたとしても...
きっとそれは
“ 茹でガエルの法則” に通ずるものがあるのかもしれませんね。
私も茹でガエルの法則を使いながら今まで地球平和のためにブログを続けて来ましたが、(笑いたい奴は笑うがいい ← ギャグですよ!)
ここ数日の記事で話の内容を急に茹で過ぎたので、いよいよ「こいつやっぱりもうダメだ」と離れて行ってしまってる読者様もいらっしゃるかもしれません。
でも日本国がもし滅亡したとしたら、
世界を真の平和な場所へと導いていく民族なんて他にいると思いますか?
太平洋戦争...
GHQによる洗脳教育が施される前のこの戦争の本当の呼び方は
大東亜戦争です。
世界で初めて人種差別撤廃案を国際会議の場で提唱したのは、日本の牧野全権大使や西園寺公望(キンモチ)だったと思います。
1919年1月開催のパリ講和会議です。
この提案は多数決で勝ってたのですがウイルソン米大統領に阻まれ否決しました。
その約四半世紀後には…
アジア各国の首脳を日本に集めて、白人からの植民地支配からの独立自存と、アジアの国々はそこに住むアジア人自身が治め、アジア人同士でお互い手を取り合って共存共栄を達成して行きましょう!
という至極真っ当なこと。つまりは大東亜共栄圏を実現するための
大東亜会議が1943年11月に東京で開催されました。
大東亜共栄圏とは読んで字の如し
アジア圏全体を大きな纏まりとして見て、白人による植民地支配からの独立自存/共存共栄のためのアジア国同士の繋がり
みたいな意味だと思います。
軍国主義とはほとんど関係がありません。
仮に日本に軍国主義が過去にあったとして、
残虐極まり無い西洋列強からの植民地支配に、日本がアジアの国で唯一、西洋列強諸国に立ち向かい、アジアの国々を解放していったことに何の罪があるのでしょうか?
イギリスは東南アジアの島国であるティモールで、現地の女性を好きな時に好きなだけ乱暴して良いという法律がありましたし、
征服したアジア国で行われる処刑のやり方のひとつには、
銃殺では面白くないので大砲の筒んとこで縛り付けにして砲撃して爆死させる
というやり方が英国人達には大変好評だったようです。(それはそれは大人気で拍手喝采だったそうです)
このへんの話はもっともっと言えます。
中国でも。インドでも。オーストラリアでも。
そしてアメリカ軍に占領された日本でも。
(皆さんが知らないだけで終戦直後に多くの日本人女性が米軍によって乱暴やら強姦やらされてます)
こういうことを知ってるので、たまに日本人がちょっと何か言ったことに対して、
同じ日本人が
「このレイシストめがっっ!!」
と発言してるのを見ても
そしてそれがたとえ本当のことだとしても
日本人がする人種差別的な発言なんて子供のナントカレベルの、ほとんど何の実害ももたらさないくらいに比較にならないことなので...
(戦争と民間でのことを較べたくはありませんが、ちょっとは言いたくなるわ!)
少なくとも
白人様の歴史的所業に対してせめて一言二言、それ言う前に言ってから言えよな!
とも思うのですが、どうなんでしょうかね??
(「勿論人種差別に繋がる言動はどんな小さなことでも許される事ではありません!」という注釈が必要無いくらいに白人のやって来たことは限度を超え、目に余るものがあり、筆舌に尽くし難いものがあります)
チベットウイグル問題についてもそうです。
戦前の日本人は軍国主義者のレイシストだ!!
と言う割には、
チベットウイグル問題について現在の日本人は何も一言も言わないのですかね?
昔の日本人は言ってましたよ?
いったい戦前と現在の日本人のどっちがレイシストなのでしょう?
“ レイシスト ” と言う言い方ひとつ取ってみても、
白人寄りに迎合主義的で思想的主体性の欠落した戦後思想改革による洗脳された日本人に見られる本質から外れてるような違和感と虚無感を感じるのですが、
考え過ぎですか?(ちょっと考え過ぎですかね)
そんなに英語にする必要の無い単語も英語で言わないと駄目なんですかね?
それは良いとして
チベットウイグルで起こっていることを話したとしても、これはこれで余りにも酷過ぎて多くの平和な思考性の日本人にはただの陰謀論に思えてしまうかもしれません。
アジア人は基本的に他のアジア人に対して率先して戦争などしません。
中国だけが例外なんですよね。
中国の初期の王朝はコーカソイド系でしたからね。見た目はモンゴロイド系の血が濃いように見えるんですけど、中身の思考性は大陸文化だけあってかなり白人寄りみたいなんですね。
・ ・ ・ ・ ・
話の行方を見失いました。
もっと楽しい話に変えますね?
今日は私の好きな車が偶然目の前を走ってまして、同じ目的地の駐車場に入って行ったので声をかけました。
話を聞くと
ー好きだと言っても車のことは無知なのでー
私にも買えそうな値段の車でした。
この車は街でたまーに見かけてるうちに好きになりました。
このオーナー様のは赤い羽根付きでした。
シーケンシャルシフトマチックというのも初めて見せてもらいました。
後ろに付いてる羽根は「GTウィング」と仰ってました。
なんでも後ろにエンジンがあると言うことで峠道でもクイクイ曲がるそうです。
あ、フェラーリみたいに高い車じゃないですよ?言っときますけど。
私は飛行機もエコノミークラスにしか乗ったことがありません。(多分)
でも後ろのエンジンフードはフェラーリに似ていました。この車ははっきり言ってポルシェより格好いいです。
赤いスポーツカー。。。
で思い出しました。
キャプテン殿が旭日旗の話題を出してましたので、私もこの流れでなんとはなしに旭日旗について語りたいと思います。
ここ数日はずっと、お陽様や皇祖神である天照大御神の話をしていたという流れもありますしね。
旭日旗は…
当時の総理大臣だか担当者だかが旧日本海軍の旗を自衛隊がそのまま使うのは不味かろうと、旭日旗に代わる新しい海上旗を当代随一のデザイナーだかその道の専門家だかに依頼したそうです。
そうするとその人は
「これ以上のデザインは思い浮かべませんので辞退します。旭日旗は日本と日本海軍を表す最も優れたデザインのひとつであり、もしこれを変えてまでして新たに意趣立案することは私の職業倫理に著しく違反します。」
とのことでした。
それならばということで、日本海軍からその後の海上自衛隊へとそのまま旭日旗が受け継がれたという経緯らしいです。
一ヶ月くらい前に竹田さんがニュースでそう語ってました。
デザインて本当はそこまで考え抜かないとならないのかもですね。
インレイをお願いしているところの匠(タクミ)もそう仰ってました。
✰実際に作る作業よりもデザイン案を練ることのほうにより多くの時間を割いていると。
✪デザインを考え抜いて無ければ幾ら実作業に労力を費やしても、完成度はけして満足のいく処までには及ばないものだと。
そういう意味ではフェラーリってかなり完成度が高いのかもしれません。
ガンダムもそうですね。
その時点での考え得るだけのすべてのことを考え尽くして、そこに持つある概念を具現化するという。。。
私もそういうつもりでオリジナルギターなどをデザインしてます。
✯現時点において出来得る限りで構わないので
✮その出来得る限りの全ての場合の可能性を
ー想像力を大いに働かせてー
隈無く検討することを心掛けております。
✦但し洗練させる作業には際限が無いので、現時点での創造力で出来得る限りのことを行うことを旨とする。
✪そして譬え取り残しがあることが予測出来たとしても、現時点での最高地点を目指したこととして満足すること。
そんなふうにデザインについては考えてます。
旭日旗が正にそうだったのだと私は思ってますが、果たして如何でしょう?
今度のオーダーメイドギターは前モデルよりデザイン性において更に自信があります。
だからこそ創るのです。
ほら、ボロボロです。
ね?
レリックというジャンルは抜きにして、
(それはそれでひとつの創造性に属する分野ですよね)
物事は綺麗で美しく完璧な方向へ向かわせたいという内に秘めた、もしくは自然に湧き出る欲求が常にあるのですよ。
きっと。
世界全体に対してもそういう調和を目指すような人達が今よりもっと現れてくれるのであれば
もしそんな人達がやがて多く現れるのだと信じれるとしたら...
私の周りにはデザイナーが多いのですが、
地球上に住む一人ひとりが未来の地球の姿を創り出して行く一員であり
ー影響力の大小や役割の違いはあれどー
自分の力はたった一人だけのものとして過小評価すべきではなく、
寧ろその一員として自分の為すべきことに力を発揮すべきだろうと、
取り敢えずはこの辺でこの話を帰結しておきます。