いちごに練乳かける?かけない?

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かけることもあれば、かけないこともあるでしょう。






ケチャップの法則て知ってますか?
(いつもの如くたった今適当に思いつきました!)




それと同じことですよ。




ケチャップをつけて食べる食べ物がまずければまずいほど、ケチャップを多めにかけて味をごまかす。即ちケチャップへの依存度は高くなります。

逆に料理そのものが美味しければ美味しいほど、ケチャップの出番はあくまで味の付け足し。付加的な要素でしかありません。付けなくとも良い場合もあります。


いちごへの練乳の使用もまた然り。


但しあくまで法則としての一般論的なお話であります。


例外は付き物です。


私のようにソーセージには、ソーセージと同じだけの体積のケチャップをかけないと気が済まないという向きもあります。

(サイゼリヤからボトルのケチャップが消えたのは、私のような利用者〔ケチャッパー〕から生じる店の損失率を下げるためだと思います)


いちごの場合では、パフェやカキ氷になると話はまるで違ってきますし、ここでの法則とはあくまで基本的な部分での話です。


言うまでもなく、苺のかき氷に練乳が無かったら間違いなく文句が来ます。


いちごのカキ氷は名前がそもそも


イチゴ練乳 ” ですしね!


イチゴパフェはイチゴ練乳ほどではないにせよ似たようなところがあるでしょうね。


パフェの場合はイチゴ周辺の着飾り具合で練乳への依存度は下がると思います。


それでも練乳は必須だと思う人もいると思います。

パフェはトータルバランスとしてどうか?というところだと思いますが、

そこに乗っかってるイチゴが規格外に美味しければ、そして周りの装飾と調和して味をより引き立てているのならば、たとえ練乳が無くとも気づかないくらいのものもあるんじゃないかと考えられます。



もうね。


この前ふりだけで話終わらしといたほうが(一般的には)良いのではないか?


なんて思ってしまいました。


ここまでの考察で、


✬イチゴパフェに練乳は必ずしも必須ではないかもしれない。

✧いちごのカキ氷には練乳が必須であろう。


という結論がなんとはなしになんとなく導き出されました。




しかし世の中には議論しても益少なくして、ほぼ無益であろう議論が時として展開されております。




ネット界隈での




「『本家本元フェンダーUSA以外のフェンダーは本物のフェンダーじゃない VS フェンダーメキシコもフェンダージャパンもフェンダーだもん』論争」です。





これを言い争っている人達はいったい何をしているのでしょうか?





これは…


先ずフェンダーUSA側の信奉者達の主張を紐解くと



「うちのバックは怖えんだぞ!オラ!今すぐ泣き入れろや!!」症候群です。




これを



(ヤクザの)舎弟の論理



とも言えるかもしれません。(別にヤクザじゃなくても言えます)






対するフェンダーメキシコ、フェンダージャパン(USAの完全子会社になる前のフェンジャパ)側に与する者達の主張とは…





「うちの兄ちゃんも強いんだぞ!それにお前らみたいに他人に威張ってないんだ!それに、それに(涙目)兄ちゃんはボクにとっても優しいんだぞ!!」


訳:「メキシコ/フェジャパも良いんだぞ!それにUSAみたいにボッタ食ってないんだ!それに、それに(嬉し泣き)ボクのお小遣いでも買えるんだぞ!!」

*ムカついてもあんまり反論しないようにお願いします!(爆)










何か気づきませんでした?



いや、私のこの話自体がムカつくとかではなくてですね。。




両者とも自分が信奉したり尊敬している対象を話の場に出して来て、自分自身のことではなくて第三者のことをお互いに言い争っているんですよ。





これを




代理人闘争の論理




と超適当にこの瞬間にまたまた名付けました。






そうなんです。



誰かのために自分自身のことではないことを頼まれてもないのに代わりに言い争い合っているのですね。



もしかするとブランドから頼まれてるのかもしれませんけど。(笑)



その可能性は限りなくゼロに近いでしょうが、ブランドや代理店、販売者側の人間が隠れて言っている場合もあるかもしれません。



でもそれはここでは敢えて例外として扱うべきでしょう。



ここでは、フェンダーUSAの信奉者や、メキシコ/ジャパンの擁護者との間での言い争いや罵り合いのこととして扱わなければならないでしょう。










そして私の結論はこうです。




【建前】各人が各フェンダーブランドについて話すのは自由だと思います。

【本音】ジャパンだろうがメキシコだろうがアメリカだろうがクソ超どうでもいい。




冗談です。



エンドーサーでもなく縁故も得も何もないのに、自分が使っていて気に入っているとかの理由で特定のブランドを応援したり擁護したりするのは、ギタリストとして、人としての気持ちの自然な成り行きのひとつかもしれません。



でもさっき言ってた例外。


ブランド側や生産者、そこでギター造る職人。販売代理人。



そっちの人達のほうが第1番目に、

✰そのブランドの価値や正当性を表明するに位置する人達かと思います。


✰その次に一般ユーザーがいて各ブランドが銘々に初めて公に評価され得るのです。







いずれにせよ、


消費者/使用者側は、自分が気に入って好んで使っているならばそれ以上のことはないと思うのですが、


それでも何か言いたがるというのは、(ここでは勿論フェンダー各種ブランド論争のこと)


各々が違うフェンダーブランドを気にしてるという紛れもない証拠でしょう。


USA至上主義派はジャパンのことなんか気にせず自信を持って本物志向を貫けば良いのです。

フェンジャパユーザーはアメリカ至上主義/白人優越史観に臆せず、日本戦後自虐史観によって世に漂う自国製品に対する誇りの無さにも怯まず、ブランドとして格下だと自国民にも蔑まられる日本製に卑屈になる必要なんて微塵もありません。


やはりそれぞれのフェンダーブランドにそれぞれの何々があるのだと考えられます。






ここまで大丈夫でしょうか?(全然大丈夫じゃない人もいるやもしれません)





思いつくままに綴ってきたので読み難い部分もあったかもしれません。










【補足】


” 誰かのために自分自身のことではないことを頼まれてもないのに代わりに言い争い合っているのですね。”



この一文をもう少し深く解説します。




見るものにはそれになることが出来るの原理です。




以前にどこかの回で深く解説しました。




そのまんまの意味です。




つまりはフェンダー各種ブランド闘争をしている人達は、



☆ある人は自分がフェンダージャパンに

✭またある人は自分がフェンダーメキシコに

✯またまたある人は自分がフェンダーUSAになっていたのでした。






つまりは




代理人闘争の論理




であります。





そのギターを気に入って所有して弾いているだけでは飽き足らず、(しなくてもいいのに)ブランド側に代わってその価値と正当性を主張する。しかも自身にはなんの得にもならず、(自己満足は得られる)肝心な話の結論にすら至らないというのに。。












そういう訳でして



次回は



緊急事態宣言とかについて色々と語りたいと思います。



そこで述べようとしてる話や情報はある源/情報源から来ている訳ですが、


話が  “フェンダー”  とか  “コロナ”  みたいに大きくなると


フェンダーブランドの無意味な比べ合い合戦では、話は100%フェンダーにおぶさるしかなく


コロナのデータは専門家/有識者、開示された信用に足るデータ等に頼るしかなくなるので、



たとえそこで自ブログとして記事を出して、ついでに自分の意見もそこに添えたとしても、自分で研究して捻くり出したデータを基にして人々に突きつける訳では全然ないので、


自分が良いと思った専門家/有識者の言説の理解者としてだったり、(行っても)そのソースの代理人の真似事のような域は超えることはありません。



さりとて



私は代理人闘争の論理に嵌るつもりもありません。

 


しかし自分のブログとして出す以上、


ある程度以上の理解と質を伴った、自分自身の考えとして昇華した域で語りたいというのもまた本音であります。







うん、やっぱりイチゴの話で止めとくべきでしたね?






これも一目見て気に入りました。


色合いからしてイチゴと練乳を想起させないこともないです。(無理やり)







これと同じくらいの金額を出して直さないとならない持ち物があったりしますから、やっぱり買えないのかなぁ。。



















今回の記事は人と仲良くするために出しました。特に自分と違うことを言ってる人同士とですね。