親知らず、抜いたことある?

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抜いたこと無いですねぇ。


奥歯ならあります。


その隣の親知らずがちょうどその時にニョキニョキ生えてきてまして、歯は全体的に前に向かって移動してくるから数年後には抜いた奥歯の代わりに何となくなるそうです。


それでちょうど数年経ったところです。



ある一箇所は真横にべチョンと90度倒れてる状態で埋まってるみたいです。

それでは生えて来ようがないのですが、間違ってそのまま真横に伸びて内部を突き破り、もし菌が脳に回ったら一発で死ぬそうです。


私も身近でそういう人がいました。


肺炎に罹った人が脳に菌が回って直ぐに逝きました。



念の為、歯科医には大学病院で精密検査を受けるように勧められていますが、あまり行く気がないので未だに行ってません。



至って呑気なんです。



何やらここの処、世の中が騒がしいようですが、

私の家には何せテレビが御座いませんので、私自身の意識にはまったく悪影響を受けていません。


これは日本での例年の平均的な数値です。


冬場の風邪等の罹患率は毎年1000万〜2000万人規模。(医者にかかって患者として治療した人数。医者に行かずに自然と治った人は含めない。)

そのうち約1万人がインフルエンザでは毎年死亡。(新型ウイルスと混同してません。先ずは冬場の疾患の基礎的な情報を述べてます。)

そのうち毎年約13万人が肺炎で死亡。



例年では

インフルエンザの患者数は40万人に達した時点で初めて注意喚起がなされるとのこと。

120万人でようやく警戒注意報発令ぐらいだとかなんだとか。



毎年の交通事故死亡者数と同じで、社会的にこれくらいの毎年の冬の風邪等の死亡者数は容認されているのですね。

車で轢かれて死ぬ人の数よりも、車が文明にもたらす利益のほうを社会は皆で共有して優先し選択しているのです。



現在の新型ウイルスでの罹患者数→感染者数2200名弱(4/2)→約2600名(4/3)→4000名弱(4/7)


事態を悪く見せるためなのか通常/例年はしない感染者数で報道している。普通は患者数で出す。実際に症状がでている人はもっと少ない。

そして累積数でも出したりしない。(治っている人もいるのだから普通は週毎の数字などを出す)


そのうち死亡者数65名(4/3)→80名(4/7)ほど。



恐怖を散々煽って特別に危険なウイルスのように喧伝(ケンデン)していますが、



これはどういった政治的な目論見や世界的な陰謀が背後にあるのかは知りませんが、データだけ見れば通常は社会的に容認される程度のずっとそれ以下の超少規模な事態とのことです。


(日本人は陰謀論に懐疑的な考えを持つ人が多い呑気でおおらかな民族ですが、白人社会では陰謀で策略を張り巡らして利己的に立ち回り、他者勢力を陥れて勝利するのが至極当然の文化です)



ウイルスは変性して新型になるのが当たり前。


毎年新型は出てくるし、流行中でさえ変性するとのこと。


これを悪いこととして捉えて右往左往するか、当たり前のこととして冷静に理性的なままでいるのか、


より悪いことには有名人の方が亡くなってしまったことですかね。


これでより一層世の中が暗く、悲しみと不安が膨れ上がっていきそうです。


それが一番抵抗力やら免疫力やらを下げるというのに。。
 

そんな哀しみを別にして、データだけを取って冷静に論理的に判断すれば、悲観して罹患率を上げていようとも問題ないくらいに実際の状況は沈静化しているようです。


例年になく今年の風邪の罹患率は非常に少ないそうです。

(コロナウイルス自体が普通の風邪の原因ウイルスの一種で、その新型が出てくること自体も至って普通のことらしいです)



これらのことは、


★感情的になって理性的な判断力を働かせなくなっている社会では話が通じないかもしれず、


★★私も専門家でもなんでもなく、必要最低限度の正しい知識と情報だけ頭に入って来ているだけなので、

上手く話をすることも出来ないということ


★★★そして何よりそのことを話題にして話してしまうことで、その場をより一層暗くして本当には注目に値しない事柄に力を与えてしまうということ(つまりは他者への悪影響を及ぼすということ)



そのために一番話をしたくない話題でした。



最後の黒三ツ星(★★★)なんかは多くの人が見落としていることです。


積極的且つ意図的な社会通念上悪とされる行為には眉をひそめ抗議したりもしますが、(時には通報したりもしますが)

そこまでは行かない顕(アラワ)にされるような邪悪な悪意もなく、しかしその話題を持ち出すことによって誰も得をせず、喜べない、どちらかと言うとそれを聞いた分だけ他人が少し気分の沈むようなことをです。


社会全体に対してそれを言うなら注意喚起としてまだしも、自分自身の私事についてそれを公で言う人が多過ぎます。


私もよく知人から注意されます。


自分自身のことは、兎角無意識的に贔屓目に見てしまい、誰もが自分に対して自然と優しく見積もりがちです。


自分の愚痴を言ってもそれは別に構いませんけど、人としてはあまり美しくないのですよね。

少なくとも。(美意識とか道徳的観念が希薄ならしょうがないです)



個人ではそれでも許されますが、法人は法律的にはそうは行きません。


放送法第何条かで、物事は両方の側面を偏向なく視聴者が正しく判断できるように放送せねばなりませんが、

今日のメディアの殆ど全てが情報統制されていますから、法律なんてそっちのけで偏向報道が最早当たり前です。


不安や誤解を招くようなことしか報道されていません。


私はもう何十年も前にテレビとは見切りをつけました。


ドリフや志村さんの時代までは良かったのですが、

その後に流行った人達は笑いをそのままの笑いとして笑いを取らず、

笑えないようなことを笑いとして視聴者から笑いを取っていくような時代が到来したのです。



日本人の笑いに対する感覚と普段からの物の見方と価値観を変えてしまった人達がいます。



その特定の人が出てきた前と後の時代では、明らかに日本人の他人に対する処し方、接し方、何かの際の反応の仕方が良くない方向へ変わってしまったのではないか?


などと昔から思っていました。


(転んで痛そうにしている人を見て笑ってるとかね。その人はコントやギャグで転んでないことを区別出来ない人が急激に増えた。)


その人が今日(コンニチ)の日本では人々に最も影響力と発言力のある人なので、その人に対して文句を言っている人をまず見たことがありません。
 

恐らく一瞬で潰されると思います。


そして誰もが尊敬しています。


映画を作るとひたすら暗くて下品な作風になったりしますが、それでも関係なく誰もが尊敬しています。



世の中が

他人に対してあまり優しくなくて誰かの不幸を思い図ることよりも、自分の不安や不幸さ加減を主張することのほうがより多くなったこの社会では、そういう人が尊敬されていること自体は寧ろ正しいのかもしれません。

(その最低ラインとは、先ずは買い占めをしようとしたことがない人からがその線より上と本来は考えるべきでしょう)


―――

国歌斉唱や国旗掲揚に反対する人達が、

「日本は軍隊を持ってはいけないし、他国に侵略されたら陵辱されても仕方がない」

と言っていることくらい筋が通ってます。

何せ国際的に普通に考えて見たら、それらの行為は全て既に国家という体を成してはいないのですから。それは国ではありません。国でなかったら守る必要がありません。

(師匠が言っていた話です)

―――


ある意味その人が日本社会に与えた影響の大きさで右に出る人はいないでしょうから。




私は自分の考えを「こんなに正しいぞ、どうだ見てみろ!」などという姿勢に立って何か言うつもりは毛頭ありません。



単なる注意喚起。


せいぜい問題提起です。



過去の記事を遡って見てみても、

必ずしも全部正しいことを言えているわけではありません。



「真実とは自分が間違っていることをも見れる余裕と勇気から真に見出される」


という偉大なる哲学者の言葉をいつも心に刻みつけなければならないとしています。




序に云うならば、「自分探し」なんてことも一番後回しで宜しかろうとも考えています。


寧ろ初めから全く以て必要のないことなのかもしれません。

(そもそも人生の始めから自分はずっと自身と一体なのに、一体全体どこにいる自分を探すと言うのでしょう?←当て付けギャグです)


誰かが喜んでくれたことを見ている時にのみきっと、自分が本当に満足していることに気づいたことしか今のところありません。



いつか心からそう言えるようになりたいです。



人は誰かの喜びに支えられて初めて自分を見つけられると思うのです。


情けは人のなんとやら。


思い返してみても、私が一番幸せを感じていたのは福祉の仕事をしていた若い頃や、ボランティア活動で日本各地、世界各地を旅していた頃です。


自己実現だとか、個人の成長とか成功とかは、

それを見た他の人達が、明るくなったり励みになったり時に手本になったりすることであり、

より上手く他の人達に手を差し伸べたり、手助け出来るようになるために本来は目指すことの筈です。




西郷さんが大久保氏に敗れて以来、

日本の国家は自分を犠牲にしてより多くを救う精神を持つ者ではなく、主に(本場フランス仕込の)官僚が支配するような世界に変わり、

現代日本では最早、このような善意の上で社会全体が本来は機能してもっと上手く行くということが理解し難い、おためごかしの絵空事、偽善者発言にしか見えないかもしれませんが、



私自身は自分が社会にどうしても必要な人間であるということが実感出来て、

更に

私が死んだとしたら誰か特定の人が嘆き悲しむという人がもし現れたならば..


その時にやっと、

医科歯科大かどっかに行って検査して、必要ならば危ないかもしれないと言われてる親知らずを抜きますよ。



それくらい自分のことは後回しでいいと思っています。


大丈夫です。


本能的に言っても社会的生物として見ても、もしも何か一大事が起こったとしたら、必ず自分自身の安全や有利を最優先させるように自然と人間は出来てますから。


その時に先ずは最低ラインは踏まないでっていうお話です。



今日なんかは昨日の記事を読まれた方が不安にならないよう(?)即日記事を投稿しました。


(一月に最低一回以上は更新して行くつもりなので、最高で5月31日まで無更新を引っ張ることも出来ました)



まぁ、普段の生活から自分最優先で生きてますけど、何か?




話がずれにずれていました。


そういうことなのでこの流れで何となく再び、

ギターのセンターずれについて言及したいと思います。




当ブログは社会派ギターブログです。(多分)


主にフルオーダーメイドとカスタムハンドメイドギター

並びにギターの大幅な改造と修理について述べるのが主な話題です。(多分)


私は何も手をかけずに全てプロのリペアマン任せですので、

手が空いてる分を他の話に充てがって、本来のギターのお話とリンクさせて幾らかの考察や持論を説くのが私の役目みたいなものです。




数日前のこと

ESPの直営店でギターを眺めていたらセンターずれしている個体を発見しました。


店長に言いました。


すると

「これはブリッジユニット由来の弦間に依るもので、指板の真ん中としてのポジションマーク自体は正しい位置にある」

「3弦と4弦の真ん中にぴっしりとポジションマークを来させたいなら、元から右寄りに打たないと完全な真ん中には来ない」

とのことでした。



それ自体は言われなくとも何となく分かっていたことでしたし、

3弦に比べたら4弦のほうが太いのだから、ポジションマークは必然的に4弦寄りに左にずれて見えるのは当たり前とも思っていました。



しかしこれは程度問題であるとも考えてましたので、


例えばこのギターは税抜定価735000円もするものでしたが、やはり左側に思いきりセンターずれしています。

先程の人から数年前に買いましたが、
この時にはこのことを理由に売価64,5万円くらいしたのを60万円近くまで値引き交渉して、
その時は何の反論も説明もされずに交渉成立しました。





こちらはフェンダージャパンのネックです。

これくらいならブリッジユニットの元々の弦間ピッチ由来に依るずれとして、個人的には十分容認出来るくらいの僅かなずれとして見ることが出来ます。





こちらは初めて買ったギターです。

初めからこれくらい全くずれのない完璧な個体を見てしまうと、ずれていないことが当たり前のこととして認識してしまいますね。






更にその次に

こちらは手持ちの中で一番素晴らしい音の出るギターです。

しかし残念ながらこれも左側寄りにセンターずれしています。

物によってはこれくらいは正常範囲内のずれ方でして、やはりブリッジユニット等の仕様に基づいたずれと変わらないくらいのものです。

但し見た目上の話です。


そう言いますには、

この個体は実際の指板上でのドットの位置が思い切り左寄りにずれてますので、

ーネックポケットの接合部の左右へのずれや、ブリッジユニットの設置部の過誤に依らないー

センターずれになるべくしてなったセンターずれです。







このギターにしてみれば完全に全部左側に寄り過ぎてしまってます!!

ちなみに指板材はパーフェローになります。


元々こういう仕様です。(単なるお馬鹿発言をしたかっただけです)


 

60万円のギターをもう一度見てみます。

指板材はホンジュラスローズウッドです。






一番良い音のするギターのほうも、もう一度見てみます。

この指板材はブラジリアンローズウッドです。


日頃からブラジリアンローズウッドに対する人々の愛好心に難癖をつけてるのに、


実際に音が良いとかお前自身が言ってるじゃないかって?



ブラジリアンローズウッドは数あるローズウッド種の中のたった一品種のことです。


たまたまビンテージのギターに使われていて、ギター音楽が最盛期の頃にギタリストに使われて神格化されましたが、


それでも数あるローズウッド種の一品種にしか過ぎないのです。

(その既に確定された支配的な思潮に呑み込まれてしまい、埋(ウズ)もれた他の素材の可能性を見出そうとしないのはこのブログの主旨に大きく反します)


これは事実を淡々と見た場合の何の夢もない意見です。


事実を淡々と見た時に、良い物があれば単に良いと言ったまでのことです。





例のなんとか言うウイルス。


数あるウイルスやらインフルエンザの中でのたった一種にしか過ぎず、

それも季節と共に常に変異していきますね?


寧ろその他のウイルスのほうで何億倍(?)もの人達がこれまでの歴史上で無数に死んでいってます。


これは恐怖や不安などが最大限に先行してしまって、事実を正しくありのままに見ようとしない現象のようにも見えます。




ブラジリアンローズウッドはまだ人々に夢を見させていますが、


人を無為に恐怖に陥れ不安に苛むような認識の履き違えはちょっと見過ごせないものがありました。

(ブラジリアンローズウッドのことも見過ごせないくらいですから)



これは公共社会に対する人々を慮(オモンバカ)った見地に立った上での事実に基づいた個人的な意見/見解です。(データは師匠からお借りしました)



この話を読んで感情的になって反感を持ったり、その他あらゆる不快な反応や感覚をお持ちになる方もおるやもしれませんが、


私自身には自分の考えの正しさとかを人に説いて誰かに認めさせたり、ギター以外のことでの思想的な主義主張を通すことを目的には一切述べておりません。



せいぜい某かの考えの一助としてだけ述べました。



お役に立てるかどうかも分かりませんが、そういうつもりでいて、そしてそうすることに少なくとも意味はあると信じています。

 

私の間違っているところよりも、少しでも正しいと思えたところにちょっとでも目を向けて頂ければ幸いです。