本来は昨日から綴っている内容は、アメンバー限定記事にすべきなのですが私はそうしません。
アメ友が一人もいない分際だからなのでは
*①~④ ありません
*①断じて
*②決して
*③絶対に
*④とこしえに
*×知床に。。。
その本当の理由とは、
ー 以前、オリジナルギターについて言及していたときに少し述べましたが -
私の見解では、エレクトリックギターの歴史としては現在、まだ揺籃期なのです。
言い過ぎかもしれませんが、少なくとも未だ揺籃後期ぐらいにはあたると思います。
(ジェラ期後期みたいなもんです 超適当)
理由は単純です。
いえ、単純だけどもいくらか説明は必要かもしれないと言っておきます。
未だにフェンダーとギブソン(一社は一旦破綻して再生するとして)二者がコピーモデルのコピー具合について、全会一致で完全に公認しているわけではないからです。
(ギブソンはフェンダーとは違う理由で必ずしもそうでもなく、ロゴだけオリジナルなら良しとする風潮があるようです)
(フルレプリカ+αモデルなどはもちろん巷に存在するように、一部容認せざるを得ないか黙認しているように見える場合も見受けられます)
特にフェンダーと、フェンダーを祖とする影響を受けたブランドについては、マーティンのように完全にその姿形が、
「フラットトップギターの永遠のスタンダードとして」
そのように
完全に定着して、
「スタンダードと言えばこれ以外の何物でもなく、あとは各社のアイディア次第で完コピしようが独自性を出そうが何しようが構わない」
(ロゴはさすがにブランドとしてのコピーは駄目でしょうが)
という処まではまだ、
フェンダーはブランドとして神格化されていないのです。
そこまでの神格化がされていないが故に、「完コピするな」とか「ヘッドだけ変えろ」だの言って来るのです。
ブランドとして完全に神格化されると今度は、
ハカランダとかアディロンで作っただけでとんでもない金額になるわけですよね。
でも同じことをマーティン以外のアコースティックメーカーがアコースティックギターを作っても、一流どころでもせいぜいその1/5とか?個人工房では1/10以下にもなるやもしれません。
当たり前のことですが、「マーティンはボッタクリ」と文句を言う前に、それだけブランドとして世界的に神格化していることにも目を向けるべきだと私は考えます。
嫌なら個人工房に頼めば、今ならまだハカランダとアディロンとホンマホとエボニーなどを使って、だいたい50万円以内で収まるかもしれません。(しかもうまくすれば柾目取りを指定出来るかもしれません)
本家は余裕で500万円越えていたりします。
(マーティンのお陰で板目の迫力あるバック材などがもてはやされてますが、あれはハカランダ枯渇後の板目導入による迫力ある杢の表れであって、本来はアコースティック楽器用途のローズの板材使用に板目はあんまりよろしくないと思われます)
エレクトリックとアコースティックの分野の歴史と格式の違いは確かにあれど、
フェンダーとギブソン(エレクトリック部門)は、まだそこまでの他ブランドとの差別化はできていないわけです。
ー 生音がそのまま100%出音に直結する楽器ではないため、アコギほどの格式はそもそも持てないかもしれません ー
それが出来ていれば、
それらのブランドは、自ずと今より更に品質と価格に反映されるかして(一部のモデルで)、しかもそれでも欲しい人達は大枚をはたいても手に入れ、
且つその価値に見合うだけの品質であることも知っていて、購入後はさらにそれを再認識させられるに足るだけの出来映えであることをまたそこで知る。
というような過程をおそらくは経ることでしょう。
現に経営破綻した、高いだけで言うほど出来が良くなくむしろ悪い、ネームバリュー倒れのG社など買わないなどと文句を言わず、
その次元でのF社などについて言えば、
特にマスタービルドシリーズなどに於いて、他に漏らされていない企業秘密的なギター製作上の秘訣がくまなく網羅されており、(例えばの話)
もはや「当たりのマスビル」などという表現がなくなる処まで洗練されてあることを私は期待するわけです。
(そこまでするならビルダー間の情報や技法の共有も積極的に行われて然るべきですし、技術革新も視野に入れるべきです)
まあ、そこまで言うと「外れのハカランダマーティン」もある人の主観においてはあるのかもしれませんが、
要は、
それくらい本気でやって、
ー もちろんマスビルクラスになると本気なのは重々承知ですが ー
他の追随を許さない、唯一無二の神ブランドが生まれるのだと思いたいのです。
フェンダーとギブソンはそこに最も近いブランドですが、マーティン社とそこで比べてしまうとどうしても
「あと一歩半くらいは及ばないよね?」
と思ってしまうわけです。
ブランドが神格化されておれば、
コピー商品はむしろ偽ブランドとして徹底的に大衆によって区別化され、
他ブランドとも差別化がよりはっきりされ、
本物の価値はそれとして存続し、
もはや他の追随品と争う理由がそんなにはなくなる筈なのです。
(もちろんその神ブランドも企業努力を一分も怠ることなくというのは言わずもがなでしょう)
どっかのF社のように
「ヘッドの意匠くらい最低限変えろ!」
などとちっさなこと言わなくとも
神ブランドはちゃんと企業として豊かな状態で存続し続けるという寸法です。
特に同意は求めておりません。
私個人の見解を述べているだけです。
ただ、わかりづらい話ではないかということだけ少し気になります。
まぁ、極端に分かりやすく言うと、(あくまで私の推察ですよ、もちろん)
たとえ外れのハカランダマーティンがあるとしても、楽器としての次元が高すぎて(いろんな意味において)もはや誰も「はずれ」として認識出来ないということです。
500万だか700万で買っといて、誰もハズレなんて思えれないわけです。
例えば全世界でそのようなモデルが5本だか10本あったとして、そのうちの出来不出来はほとんどないでしょうし、好みの上で何処まで違いを感じて、しかも選別も出来るというのでしょうか?
またそこまでいく新品のギターともなると、もはや楽器としての対象としてというより、何か違うものの対象として見られてる要素のほうが大きいような気がします。
分かりやすくしたつもりがもっと分かりにくくなりましたか?
・・・どうやら私は物事を分かりやすく説明するよりも
ただ自分が何かを述べること自体に気持ちがあるようです。
いけないですね。
ついでにもう少し話を分かりにくくしようかと思います。
昔、師に言われたことがあります。
みんなはその方を老師と呼んでいました。
うちの型は誰にどれだけ見られようがまったく構わない。
奥義だろうが秘伝の型だろうがまったく見られて構わない。
見ただけでは技の真髄までは誰もわからないから。
と言われておりました。
見て技を盗める一般的な拳法の外家拳(少林拳をはじめとして空手まで多くの流派を含める)とはわけが違うということでした。
どういう意識と意図でもって技を用いるかの概念がまったく違うということだと思います。
ギターにも応用出来ますね。
どういう意識と意図でもってそうするのか?
それをもってことにあたるのと、ただ何となく良いものが出来れば良いなと漫然とことにあたるのとでは、
仕上がりに差がつくのは至極当然のことですが、
私は特に塗装において漫然としておりますので、仕上がりにそれが如実に表れました。
武術においては、その場限りの闘争本能のみで闘うのか?
楽器においても、その場限りの思い付きだけで作るのか?
武術においては何も言えることもありませんし言うべきではありませんが、楽器においては何か言えることが私にもあるかもしれません。
掛かるが故にこれからも何か少しのことを述べていきたいと思います。
以上、私の持論でありました。
そして私がオリジナルにこだわる理由のひとつでもあります。
オリジナルギターについてはまた後程語っていきたいと思います。
そしてやっと本題。
そう、
昨日の続きですよ!
今日の記事ノルマ?(みたいなもの)は達成したような気がするので、
もう終わってよろしいですか??
まぁ、勝手に終わりにしますけどね。
おっと、忘れてました。
アメンバー限定記事にしない本当の理由。
何も友達が一人もいないことを気にしないフリをして平然を装ってはいたが、
いざ限定記事にしたら「誰も読まなかった!」という事態と黒歴史をまた増やして「自分が嫌になる」
という未来がまるで予知として視えてしまっている。
という理由からでは ※【は】~【て】 ありませんよ!
※【は】勿論
※【に】無論
※【ほ】全然
※【て】微塵も
※×全然面白くない
※×微塵も面白くない
本当の理由は、
エレクトリックギターの歴史は長い目で見たらまだ揺籃期なのであります。(見解です)
弦楽器の王様、バイオリンは言わずもがな、他の箱物ギターと較べても瞭然としております。
自分が知っててその分野の発展がたとえほんの少しでも進歩するかもしれない、そんな可能性のある情報を開示しないのは、その分野全体の進歩を意識的であれ、無意識的にであれ、遅らせる一因ともなり得るのです。
たとえそれが、「自ら進んで何もしなかった」という積極的には悪いことをしたわけではなかったこととしても、確実にそれは「不作為によるその分野における進歩の妨げの一助」にはなってしまっているわけなのです。
そして、そんな小さな情報なりデータなりを自らに取り込んで置くがままにするのが、長い目で広い目で見た場合に結果的に自分も含めた未来に帰ってくると信じたいのです。
信じていることだから、そう思える人以外にそれは出来ないだろうし、強制などもっての他なのですが、
そんな小さなところでエレクトリックギターの未来への進歩を止めてしまっていたとしたら、とても愚かなことだと思えます。
それは音楽を奏でる上での道具です。
ひいては人に感動と夢をもたらす手段となるものです。
もっと大きく言えば、文明の進捗にすら関わってくると言えば大袈裟過ぎますか?
感動と夢を持つことを除外して、いったいどんな文明が惑星に存続すると云うのでしょうか?
絶望と恐怖、人よりも秀でれば良いという野心のみでは、
ダースシディアスとかの闇に飲み込まれてしまいますよ?
いったん闇に取り込まれるとどうなるか知ってますか?
その一例を知っています。
つい最近のことです。
特別にお教えしましょう。
本来はアメンバー限定記事にするところなので他言は無用です。
こうなるのです。
オーダーメイドギター見積額定価
×76万円也
・・・
もちろん再販価格はつかない。
世の中にはげにまっこと恐ろしい人もいるものです。。。
漆黒の闇です。
また闇の中の比較的緩やかな丘では、
私、その良い見本です。
友達ゼロ。
ギターが恋人。
こうなってはもう、・・・手遅れです。
闇係数で表すと、
アナキンスカイウォーカー ≦ 私 < ダース・ベイダー < ダースシディアス ≒ ダースプレイガス
と言ったところでしょうか?
ダース・ベイダーよりは暗黒面に囚われていないが、堕ちる前のアナキンスカイウォーカーよりは確実に黒い、という微妙な黒さにおります。
アナキンスカイウォーカーは結婚していましたっけ?
すいません、間違えました。
正しくは、
アナキンスカイウォーカー < 私 ≦ ダース・ベイダー < ダースシディアス ≒ ダースプレイガス
とあるべきでしょう。
*子ども生まない育てないというのは文明の未来に対して深刻な大罪にもなり得ます。暗黒面に堕ちたダース・ベイダーよりかはまし程度として捉え、真剣に考え直さねばなりません。
*ご自身が入ってないと不満な方は、申告してください。追ってチャートを手直しさせていただきます。
・・・ちなみに私には自分を出汁にして笑いを取りたいという秘めたる衝動が内から駆り立てる傾向が昔から何故かとても強いみたいなので、
あまり心配しないでください。
でもちょっとは心配してください。
話を壮大なものと、矮小なものとを対比して描くとちょっと面白くないですか?
もっと壮大に綴ることも勿論出来ますとも。
なんならスペースオペラの話を持ち出してきても構いません。
でもそうなると今度は、
「自分のことをもっと矮小に描かなくては」
という意味のわからない衝動に駆り立てられるかもしれないので、
物語を語るのはやめておきます。
今日も与太話に最後まで付き合ってくれてありがとう。
最後に余計なもう一言、
「お前は変われ。変われなかった俺の分まで」
ギターもここらで革新するべき時なのです。
あなたは宇宙世紀の黎明期を迎える前に先ず、エレクトリックギター人類至上揺籃期にあたる今を見据えて、イノベイターになるべき人なのです。
これを最後まで読めてるからそう云えるのです。
ちょっと言ってみたかったの!
追記:
「ひとひとりの命は地球よりも重い」っていう
どっかのNPOだかNGOなんだかが言ってる感じの標語。
その真意、本当の意味を考えたことはありますでしょうか?