大門(芝・増上寺)
私が、サルサ仲間の方で、勝手に“大門”と当ブログで名づけてる方(女性)がいらっしゃるのですが、
決してレイバンの大門サングラスを愛用されてるわけではなく、港区の芝・大門に住んでるからであります。
先日、当ブログに大門さんから初コメントをいただいたことに関連いたしまして、
今回、芝・大門の増上寺について取り上げさせていただきます。
こちらが、地名、地下鉄の駅名にもなっている、芝・増上寺の大門です。
元々は江戸城の大手門を徳川家康から寄進されたものだったのですが、昭和20年の空襲により焼失してしまいました。
大門からまっすぐ歩くと、日比谷通り沿いにそびえ立つ増上寺の三門(三解脱門)。
浅草寺の宝蔵門より巨大な、こちらを“大門”と思う方も多いのではないでしょうか?
三門は空襲にも耐え抜いた、江戸時代の造りを残す国の重要文化財です。
増上寺の本堂。
後ろにそびえ立つ東京タワーとの2ショット。
ちなみに、東京タワーのエリアもかつては増上寺の境内だったようです。
現在の芝公園も増上寺のかつての境内であり、さすが徳川家の菩提寺だっただけに、上野公園全体が境内であった、同じく徳川家の菩提寺である寛永寺と並ぶ、莫大な規模です。
境内に、千躰地蔵尊と呼ばれる、風車を供えられた小さなお地蔵さんがズラリと並んでいます。
一瞬、水子地蔵かと思いましたが、安産・子育て祈願のお地蔵さんのようであります。
西向観音堂。
中に安置される観音像は鎌倉時代に造られたもので、安産・子育てのご利益で有名だったようです。
千躰地蔵尊の母親的存在です。
境内奥に、徳川家2・6・7・9・12・14代将軍が眠る霊廟があります。
一般客は入れません。
徳川家霊廟の門前を四菩薩像が守護しています。
境内には熊野神社も祀られています。
増上寺の守護神として勧請されたそうです。
この増上寺が徳川家の菩提寺に選ばれた経緯は明らかになっていないのですが(建立は室町時代1393年)、
同じく徳川家の菩提寺である上野・寛永寺が江戸城の鬼門除けの位置(江戸城から見て北東)に建てられたことに関連して、
増上寺は江戸城の裏鬼門除けの位置(江戸城から見て南西)である現在地に移転されたそうです。







