平将門を祀る神田明神
~前出の平将門公についての続き~
江戸・東京23区の総鎮守とされる神田明神には、
将門公が、祟りを供養するために神様として祀られています。
もともと、西暦730年に出雲系の一族が大国主(日本神話に出てくる、出雲大社の神様)を祀ったのが始まりの神社なのですが、
鎌倉時代に、将門公の祟りと噂される災害が頻発して、
1309年に、将門公を供養して相殿神として祀られるようになったそうです。
それから、この神田明神は、伝説の武士として恐れられていた将門公を祀る神社として存在感出しまくり、
江戸を治める武家に崇敬されてきました。
特に、江戸幕府を開いた徳川家康は、
関ヶ原の戦いに臨む際に戦勝祈祷したり、
江戸城拡張の際、江戸城の鬼門除け・江戸の総鎮守として遷座させたり、
神田明神に対して相当の取り組み様です。
武家政権にとって、将門公は、朝廷政権に初めて立ち向かった、武士の元祖という特別な存在であったと考えられます。
明治時代になり、天皇主権国家において将門公の立場は急変します。
将門公は、武家から見ると、自分たち武士の祖先で英雄的な存在だったのですが、
天皇家から見て、朝廷と別の天皇を名乗って朝廷に刃を向けた“朝敵・逆賊”以外の何者でもなかったので、
その将門公が堂々と神として祀られていることが明治政府により問題視されたわけです。
関東各地にあった将門公を祀った神社は、次々と将門公を祭神から外され、
将門公を祀る代表的神社である神田明神においても、
神田明神が東京十社に選ばれ、明治天皇が参拝するにあたり、
境内に将門神社という小さな神社を設けて、本殿から遷されてしまいました。
ちなみに、それから、東京に台風が直撃したり、関東大震災が起こったりすると、
“将門公の祟りか!?”と本気で騒がれたらしいです。
影響力強すぎです。
将門公が本殿祭神に復帰したのは昭和59年(1984年)と、実に107年ぶりでした。
ちなみに、将門公と藤原純友(私の故郷・伊予の海賊。将門公の反乱と同時期に瀬戸内海で反乱を起こした。やはり、将門公の関東での地元人気のように、愛媛では英雄視されている。)を主人公としたNHK大河ドラマ“風と雲と虹と”が放送されて、
将門公の人気が高まった影響が大きかったようです。
神田明神・元来の主祭神は大国主ですが、
いつの間にか大黒天と習合されています。
ちなみに、江戸・東京23区の総鎮守らしく、神田明神を氏神様とする企業の数はハンパではないので、
正月三が日の一般初詣のみならず、1月4日・仕事始め以降の、平日の会社員の初詣参拝者がすさまじく多いです。
それと、吉日の土日は神前結婚式がよく見かけられます。
つまり、観光地の神社ではないのに、経済的に非常に潤っている神社とも言えます。
日本人は、実は信心深い人が多いというあらわれかと。


