最近はめっきり”コミュ省”ですね。
元々は”コミュ省”とかって略語略称も使いたくないぐらい
マシンガントークをしていた自分ですが、
徐々に略称や主語を言わないで会話をしたりと
変化してきました。
ついに勉強一筋になり、友達とのコミュニケーションも
取れなく、一方的なメディアからの受信か、
ブログの吐露だけになっていまいました。
ズレた話ですが、友人との距離感もつかめるようになってきました。
今までは、そこまで面識もなく、話もしたことがない人以外は
全員友達、という認識のもと、グイグイと会話をしていました。
しかし10年来の付き合いがある友人が、同じ予備校に通っていますが、
自分のトークでたまに気にくわない…とかなんとか。
つまり、今までは距離感もなく、他人との境目も気にしなかったのですが
大人になるにつれて、ある程度の距離を取った接し方を
した方がよいと諭されました。
自分で試行錯誤した結果、距離感を掴んだわけですが、
果たして、「必要最低限の会話」とか「場の空気を十分に読んだ発言」は
いついかなる時にも、正解になり得るのでしょうか。
その点に甚だ疑問を抱いてしまった訳なんです…
結論は出ていません。おそらく今後もでないでしょう。
しかし、本当にこの”距離感”や”コミュ省”は必要なのか。
元々は”コミュ省”とかって略語略称も使いたくないぐらい
マシンガントークをしていた自分ですが、
徐々に略称や主語を言わないで会話をしたりと
変化してきました。
ついに勉強一筋になり、友達とのコミュニケーションも
取れなく、一方的なメディアからの受信か、
ブログの吐露だけになっていまいました。
ズレた話ですが、友人との距離感もつかめるようになってきました。
今までは、そこまで面識もなく、話もしたことがない人以外は
全員友達、という認識のもと、グイグイと会話をしていました。
しかし10年来の付き合いがある友人が、同じ予備校に通っていますが、
自分のトークでたまに気にくわない…とかなんとか。
つまり、今までは距離感もなく、他人との境目も気にしなかったのですが
大人になるにつれて、ある程度の距離を取った接し方を
した方がよいと諭されました。
自分で試行錯誤した結果、距離感を掴んだわけですが、
果たして、「必要最低限の会話」とか「場の空気を十分に読んだ発言」は
いついかなる時にも、正解になり得るのでしょうか。
その点に甚だ疑問を抱いてしまった訳なんです…
結論は出ていません。おそらく今後もでないでしょう。
しかし、本当にこの”距離感”や”コミュ省”は必要なのか。