永遠の国 その2 第2次世界大戦 | 爆発が足りない

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 前回

 

 1939年までに、世界は混乱の極みに達した。ドイツはアンシュルスを強行し、チェコスロバキアのズデーテンラントを併合、最終的にチェコスロバキアを解体してしまった。イタリアは1936年にエチオピアを征服した後、今度はアルバニアを併合しギリシャを征服したトルコと国境を接した。

 東欧ではハンガリー、ブルガリア、ルーマニアにおいてファシスト政権が成立し、唯一ユーゴスラビアだけ中立を保っていた。

 そして中東欧でのファシストの広まりに対し、イギリスフランスが同盟を組んで本格的に対抗しはじめた。世界中のファシストと共産主義の脅威にさらされている国にところかまわず独立保証をかけ始めたのである。

 そしてこの緊張は1939年の8月にドイツ・ポーランド戦争として爆発した。ドイツによるダンツィヒを要求を拒否、ドイツはイタリアなどの枢軸国を引き連れてポーランドに宣戦布告し、ポーランドは連合国に加盟、イギリスフランスがドイツとの戦争状態に入り、第2次世界大戦がはじまった。

 

開戦3か月でシチリアが落ちるイタリア、安定のガバガバ防衛

 

 しかし1939~1940にかけて、トルコは不気味な沈黙を保っていた。実のところ、この間トルコの戦略は軍事、外交においてやや迷走していたのである。

 ギリシャ征服によってほぼ戦時体制を確立したトルコであったが、続けて中立国イラクの石油資源を狙って宣戦の正当化を図った。しかし、このころにはすでにイギリスとフランスが介入政策を強めており、イラクはイギリスの独立保証下に置かれてしまい、トルコは手を出すことができなかった。

 それだけならばまだ問題ないのだが、トルコ政府はイラクとの対立をさんざんにあおったせいで、結局戦争はできないとなったとたんに国民からの不満が噴出し、国内の団結力を弱める結果になってしまった。

 また、重要な国家方針をほぼ完成させたトルコは、密かに対外諜報活動を活発化させはじめていた。この時、情報部は対ファシスト戦線だけではなく、さらなる未来を見据えていた。いくらソ連がついていたとしても、欧州だけではなく世界中を巻き込む未来の世界大戦では勝つことができない。情報部はその狙いを近傍の中立国であるユーゴスラビア、豊富なゴム資源を植民地に持つオランダ、そして超大国アメリカにさだめ、10年先へ向けてイデオロギー宣伝工作を開始した。

 

 軍事面においては、トルコは防衛か、攻撃かで議論が巻き上がっていた。敵のドイツとイタリアは強大であり、同盟国ソ連との間にはいくつものファシストがおり、共同作戦を行うするのは難しく思われた。しかし、バルカンのファシストなど恐れるに足らず、という意見もあった。

 実は、ギリシャの攻略作戦においてトルコ陸軍は実戦経験という大きな収穫を得ていた。山岳での無意味な戦いはしかし、トルコの将軍に山岳戦のノウハウを与え、幸運にも人的消耗が少なかったために師団の練度も向上していた。この経験によって、トルコ軍はさらなる砲兵火力の付加を、練度の低下なく行うことができた。高火力を誇り、歩兵強襲ドクトリンを研究していたトルコ軍は東欧のファシスト国家の軍隊を質的には凌駕していた。

 しかしトルコ軍は基本的に防衛戦略をとることになった。トルコにはソ連のような後背地はなく、工業的、軍事的に重要なイスタンブールが最前線にある以上、万が一の時を考えなければならなかった。トルコ軍はイスタンブール前面とギリシャ方面の要塞化を開始した。かりにドイツとイタリアがバルカン半島の攻略を始めたとしても、急峻な地形と要塞によって守り抜くことができるだろう。

 

7か所で要塞を建設開始、制海権はすでに連合国が得ていたので問題なし。

 

 一方、第2次世界大戦はというと、ポーランドはドイツ軍の圧倒的軍事力によって開戦2か月で降伏した。また、戦前の秘密協定によってソ連がポーランド東部を占領した。必要とあればファシストとも取引するそのしたたかさは、トルコを見習わねばならない。

 しかし、西部戦線はやや硬直していた。それまでにルクセンブルク、ベルギー、オランダと立て続けにドイツは宣戦布告を行ったが、ポーランドから転換してきた軍の再編がうまくいっていないように感じられた。

 

ソ連はベッサラビアを占領。着々と領土を広げている。

 

 しかしフランスの破滅は南からやってきた。シチリアをイギリスに奪われていたイタリア軍だが、開戦4か月でアルプスのアルバイン線を突破、フランスへの浸透を始め、この時点でフランス軍は大混乱に陥ってほぼ勝敗は決した。

 

イタリア軍が強い。上陸したイギリス兵もことごとく追い落としている。

 

 その後イタリア軍はゆっくりとパリに向かって北上、1940年5月にパリを制圧してフランスはイタリアの手に落ちた。ドイツはアルザスロレーヌと低地諸国を取り込んだが、フランスの半分以上はイタリア領となった。

 それから一年は欧州の周辺地域において散発的な戦争が続いた。ドイツはデンマークを併合、ソ連はバルト3国を併合し、フィンランドを傀儡化した。連合国はイタリアとカレーへの上陸作戦を行っていたが、毎回内陸に誘い込まれてから後方が断たれ、殲滅されるということを繰り返していた。

 しかし、ファシストは共産主義に対する絶滅戦争を準備していた。

 1941年8月、ドイツはソビエト連邦に宣戦布告し、同日ソ連はトルコへ共同戦線を持ち掛け、東部戦線がはじまった。

 

次回 ヨーロッパの下腹部

 

地獄の東部戦線、開幕