アメリカ映画に登場する、コンピューターに現れる人。コンピューター人格。
または、「ターミネーター」シリーズに出てくる、人型のターミネーター・ロボット。
みな、なんか、リアルに人間で、抵抗感ありません?
受け入れるには、「異質の文化圏の者」であって。
日本には、「初音ミク」という3Dのホログラフィー(?)があります。
この映像・キャラクターは全世界で人気があります。
人にしては、アニメ・マンガ的です。
平安時代の絵巻物の時代より、「蟇目かぎ鼻」で、
江戸時代の浮世絵、そして現代のマンガまで、
省略・単純化・記号化がなされ、この「絵的表現」は、
日本の伝統でもあります。
「KAWAII」
の本質とは、
見る側の思いを投影できるもの、
なにかの感情をいだかせるもの、
略されているとはいえアートとして完成しているもの、
といえるかもしれません。
特に、「思いを投影できる存在」というのが重要です。
美術は、かなり以前に写実的に完成してました。
以降、いかにそれを崩していったか……という歴史があると、
学校で学びました。
肖像画でも、写真のように描く技法はあります。
が、「絵」です。
うそ・省略などあります。
リアルさばかり追うのではありません。
写真ですら、写しようによって、
同じ被写体でも、違うように写ります。
リアリズムとは、真にリアルであることではありません。
映画でも演劇でも、
役者は「役を演じます」が、それは「役」としての演技上の
リアリズムです。
実際の役者のことを知って、がっかりしたりショックを受けたりする人は、
多いのではないでしょうか?
人間を受け入れるには、その一面だけでなく、複雑な多面を
受け入れないといけないことが、実社会ではあると思います。
人間は、ある偶像・アイドル、つまり「つくられたもの」ではないのです。
ここまでで、日本のヴァーチャルヒューマンが、
どのようなものになりそうか、
予想可能かと思います。
世界に広まったアニメ・マンガの表現。
そこに描かれているのは、
リアルな「絵」ではありません。
あまりに「リアル」だと、本物に見え、警戒心なり、
あるいは恐怖心さえ感じるかも知れません。
国によって感覚は違います。
が、省略などによって生じた余白は、人を安心させるようです。
「好まれるように描く」という「絵」の性質。
あまりに「リアルすぎる」と、抵抗感はあるでしょう。
いろいろと思い、考えてしまうため。
どの芸術分野でも言えますが、
「モロ」は、ダメです。
「ノーパン喫茶」は消えました。
はっきり解ってしまうというのは、長続きしないようです。
最初の方に、「初音ミク」の例を挙げましたが、
ヴァーチャルヒューマン・ヴァーチャルアイドルの形というのが、
人に受け入れられるためには、
「初音ミク」の絵や3Dでのあのホログラフィーが、
適当なのかも知れません。
別に実際の人間の映像でもいいのですが、
マンガ的絵の魅力というのは、
また別のところにありますから。
さて、今後、どのようなものが、
登場するのでしょう?
