この夏の入院は1ヶ月と短いものであったが、その中で友人が出来た。同じ病棟で俺より10歳若い28歳の男の子で、短期入院の俺とは比較にならないほど重い病気を抱えていた。見渡せば年寄りばかりの病棟内において、彼は俺のことをまるで兄のように慕ってくれた。
しかし俺は正直困った。恥ずかしながらこれまで職を転々としてきた俺は、職場で部下や後輩を持った経験が極端に少ないのだ。ましてそれに慕われたことなど皆無である。病棟内では歳が近いとはいえ10歳も年下の、そして俺より遥かに深刻な闘病人生を歩む彼に対し、俺は兄貴格としてどのように接して良いのか分からなかった。
そして俺の短絡的な脳はこう考えた「腕っぷしの強さで威厳を示せば良いではないか」。奇しくもある時、彼の方から俺に腕相撲を挑んで来た。彼は彼で腕力に自信があったのだろう。これは好機と腕を交え、俺は余裕綽々に構えていたのだが…何ということか、右手では勝ったが左手で負けてしまったのだ。しかも聞けば、彼は元プロボクサーだという。冗談じゃない。腕相撲で勝った負けたなど関係なく、仮に殴り合いをしたらものの3秒で終わってしまう。
俺はますます悩んだ。腕っぷしでは全く及ばず、そして闘病の苦悩も俺の方が遥かに薄っぺらい。彼が純粋無垢に俺を慕う目、それに一体どのように応えれば良いのか。そして一つの結論に達した「俺は劉備になろう」。関羽や張飛といった腕っぷしなら最強の猛将を仁と徳で従え兄者と慕われた、三国志きっての名君劉備にだ。
それ以来俺は愚痴を言わなくなった。弱音を吐かなくなった。くだらない妬みや嫉み、その一切を封じた。彼から病状や人生の悩み相談を受けた時には、心穏やかに感情を乱すことなく振舞い、徳と含みのある言葉で親身に誠実にそれに応じた。俺は精一杯、精一杯の背伸びをして、彼が慕うに値する兄貴格であろうとした。そうありたかった。
退院して一月、もう彼と会うことは二度とないだろう。今振り返り思う「俺はあの子にとっての劉備であれたのだろうか」。彼に見せていたのは俺の虚像の姿だ。儚い儚い虚構だ。しかしそれでも構わない、一向に構わない。彼にとって俺との思い出が風化しやがて消えるその最後の時まで、俺は彼の心の中で仁徳の兄者として生き続けたいのだ。