常々思うに、俺は知識教養が乏しいとは言わぬまでもあまりにも偏っている。たまにはこれまで全く興味のなかった分野で啓蒙を嗜みたいものだ。という訳で先日YouTubeで『誰が聖書を書いたのか?』なるドキュメンタリーを観たのだが、これがとにかくあまりに酷かった。退屈を通り越して憤りすら覚え、そして途中で寝落ちしてしまったほどだ。
ドキュメンタリーと大々的に銘打つからには、当然期待するのは考古学や文化人類学、即ち近代科学の見地からの追究である。そして何処大学の何某教授とやらが何人も、VTR途中にゲストコメンテーターとして登場。議論の舞台は整ったかのように見えた。だがしかし、視聴を進めていくうちに大いなる失望。ある教授は「聖書は神が書いた」と言い、またある教授は「聖書は神の言葉を聞いて人間が書いた」と言い…いやいや、そういうの本当にもういいから。ならばまずその神とやらの実体を物理的に定義してほしい。果たして彼らは本当に大学教授なのだろうか。スーツにネクタイをまとっただけの実は聖職者ではないのか。
今回の動画視聴でよく分かったこと。それはキリスト教徒の人たちにとって、聖書は如何なる科学的追究からも絶対不可侵であるということだ。その思想や在り方を否定する気はないし、それを外野の無神論者がどうこう騒ぐのは筋違いというものだろう。しかしならばドキュメンタリー制作者は、どうせ振り下ろせもしない近代科学のメスを、ポーズだけ掲げて見せる真似などしないことだ。全世界20億のキリスト教徒相手に喧嘩を売る度胸など、最初っからないくせにさ。