生徒一人一人が誇りや自尊心を持てる環境にあるならば、そこではいじめは起こらない!? | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

俗に「いじめのない学校は存在しない」という。文科省の発表によると、2018年度の全国の小中高校のいじめ認知件数は過去最多となる41万件超、しかしそれでもまだまだ氷山の一角であろう。果たして本当にいじめのない学校は存在しないのだろうか。結論からいうと存在する。それは俺の出身高校だ。

俺の出身高は県内トップの進学校だった。もう一度いう、県内トップの進学校だった。つまり埼玉県内で最も勉強が出来る生徒が集まる高校だったのだ。さらに換言するならば、埼玉県内で最もプライドの高い生徒が集まる高校だった。これだけ聞くとなんとも鼻持ちならない、嫌味で虫の好かない学生ばかりのように思えるかも知れないが、それはあながち悪いことばかりでもなかった。そこではいじめが一切起こらなかったのだ。もちろんその中には鼻つまみ者、嫌われている生徒もいるにはいたが、それがいじめに発展することはなかった。「県内から選ばれた優秀な俺らが、いじめなどという低俗で馬鹿げた愚行に手を染める訳がないだろ」、そんな共通認識が生徒に強く働いていたのだろう。

上述の例は一つのいじめ撲滅のヒントにはなり得ないだろうか。生徒一人一人が誇りや自尊心、さらに言うならアイデンティティを十分に確立できる環境にあるならば、そこではいじめは起こらない。そして生徒の誇りや自尊心、アイデンティティを確立する方法は何も勉強や偏差値に限らない。何だって、それこそ何かしらの些細なきっかけで各々が自らに自己価値を見い出せればいいのだ。非情に抽象的で荒唐無稽な注文ではあるが、いつか日本の全ての教育現場で生徒それぞれが自分自身に堂々と胸を張れる学校教育が施される日が来ることを俺は期待する。さすれば自ずと、生徒の劣等感のはけ口としてのいじめなど消えてなくなるだろう、少なくとも俺はそう考える。