思うに憎悪と嫌悪は明確に異なる。憎悪はその対象から自分や親しき者、大切な者が実害を被ることで起こるのに対し、嫌悪にはそれら具体的な起因が一切伴わない。
人間生きていれば、時に憎悪の念を抱くこともあるだろう。人や集団、あるいは何らかの現象から一切の害を受けることなく自らの道を全うすることは不可能である。しかし嫌悪は別だ。理由もなくある対象に嫌悪の念を抱く、それは人生の無駄遣いである。出来ることならそのような邪念からは永久に解放されたいものだ。
しかし嫌悪感とは疫病のようなものである。一度侵されれば、ただ受動的にその治まりを待つしかない。それもまた人間であるがゆえであり自分を構成する一部である、そう受け入れるしかないのであろうか。