話の聞き手とはスパーリング相手でもなければサンドバッグでもない、それはのれんの如くあるべきだ!! | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

先日、久方ぶりに母と食事をした。そして母の親族に対する愚痴を聞いた。俺の親族は何かと複雑で訳アリなのだが、母の話を一通り聴き、受け応えして俺は思った。「またやってしまったか…」俺は聞き手としての自分が大嫌いだ。 

人の相談を受ける時、あるいは人の愚痴を聞く時、往々にして相手は正論の指摘など望んじゃいない。なぜなら言われるまでもなく、相手は始めから正解など分かり切っているからだ。然るに俺は、ついつい論を闘わせてしまう。相手がグローブをつけてリングに上がったら、同様にグローブをつけてリングに上がってしまう。そしてガチンコの殴り合いだ。恐らく相手は俺にそんなことなど望んでいないのに。

話の聞き手とはスパーリング相手でもなければサンドバッグでもない、それはのれんの如くあるべきだ。相手の不満や怒りを受けて受けてさらりと流す、それが真の意味での聞き上手であろう。高校時代、友人で一人だけそれを実践しているヤツがいた。なんという達観であろうか。