漫画家故藤子・F・不二雄といえば言わずと知れた、あの国民的人気漫画・アニメ『ドラえもん』の作者にして児童漫画の第一人者である。そして”漫画の神様”手塚治虫や、手塚氏に憧れてトキワ荘に集った藤子不二雄A、赤塚不二夫、石ノ森章太郎らとともに今日の漫画文化の礎を築いた偉大な先駆者の一人でもある。
さて、藤子・F・不二雄はこれまでしばしば「天才」と称されてきた。例えば手塚治虫は生前、藤子F氏について「彼は僕を超える天才だ」と評し、また長年藤子不二雄としてコンビを組んできた藤子不二雄Aも、藤子F氏の逝去に際して「彼は本当の天才だ」と氏を讃えている。実際に藤子・F・不二雄とは、さながらアインシュタインかモーツァルトのように、紛うことなき天才だったのであろうか。
藤子A氏と比較した時、藤子F氏の足跡はおよそ天才とは程遠いものだったように思える。藤子A氏が順風にヒット作を飛ばす中、藤子F氏は初期作品以降なかなか当たり作に恵まれず長いスランプに陥る。しかしその間も氏は膨大な数の作品を執筆、絶えず葛藤と模索を繰り返す。そんな苦悩と奮闘の果てに、今尚日本を代表する傑作『ドラえもん』は誕生したのだ。藤子・F・不二雄はまさに「努力の天才」だったのである。
例えば学業や仕事において、誰もが時に苦境に立たされる。先も見えず為すこと全てが空回り、やがて己が無力さを思い知り、ともすればそこが自分の限界だと感じることだってあるだろう。しかし藤子・F・不二雄がその生涯を以て示しているではないか、我々の日々小さな努力でも必ずや将来は開けると。