いじめられる側にも問題がある!?それは教育関係者の逃げ口上だ!! | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

以前誰かが言っていた、いじめのない学校など存在しない。確かに俺の小学時代、中学時代にもいじめは存在した。そして公然とまかり通っている教育関係者側の言い分、「いじめられる側にも問題がある」。しかしそれが故に教育者は打つ手がないと言うのなら、それは”論理のすり替えによる逃げ口上”と断じざるを得ない。


「いじめられる側にも問題がある」、それ自体は否定しない。元より加害者と被害者の間に100体0の善悪の関係など存在し得ない。しかし俺が主張したいのは”問題の所在の比率”である。例えばいじめ被害者に日頃からの言動に問題があったとして、しかし加害者がいじめという手段に打って出た時点で、問題の比率は20対80、あるいは10対90である。どちらを救済すべきかはもはや自明であろう。


例えば殺人事件の被害者に少しでも問題行動があったならば、殺人犯は無罪放免となるのだろうか。逃げ腰の教育関係者が言っているのは、つまりはそういうことだ。